羂索は脳みそを入れ替えることで、
死者の肉体を乗っ取る。
しかし術式は脳に刻まれている。
しかし術式は脳に刻まれている。
では、矛盾が生じる。
夏油傑の「脳」に宿るはずの「情報」
つまり、「術式」と「記憶」
これを羂索がなぜ有するのか。
これを羂索がなぜ有するのか。
以前も少し書いたが、詳しく考察し、
虎杖悠仁の強さについても考えていく。
ネタバレ範囲は0~24巻、公式ファンブック、220話、230話です。
【目次】
【羂索の術式】
術式が生まれる謎。
それを考える前にまずは羂索の術式についておさらいしよう。
羂索の術式は現状3つ。
≪ 1. 死者を乗っ取る術式 ≫
羂索のモノとされている術式。
死者と羂索の脳を入れ替えることで、
死者に乗り移ることができる術式。
脳を入れ替えているのにも関わらず、
死者の「知識」と「術式」が扱える。
呪力も死者のモノと同じだ。
(術式は脳の前頭前野に刻まれている)
≪ 2. 呪霊操術 ≫
夏油傑の術式。
羂索は今、夏油の死体に居るため、
彼の術式を扱うことができる。
≪ 3. 反重力機構 ≫
昔の肉体である「虎杖香織」
つまり、虎杖の母親の術式。
昔の肉体の術式を使える理由は謎だ。
今回は、この中の1の術式を深堀りする。
(「死者を乗っ取る術式」では長すぎるが、
公式名が無いため便宜上『死体操術』とする)
【死体操術】
羂索の脳と死体の脳を入れ替え、
死体を乗っ取る術式。
羂索も疑問に思っているように、
脳が入れ替わっているのにもかかわらず、
羂索の記憶だけではなく、
夏油(死体)の記憶があるのはなぜか。
羂索は言及していないが、
脳を入れ替えたのにもかかわらず、
夏油の術式が扱えるのはなぜか。
『 記憶も、術式も「脳」以外にも存在する
その「何か」が「脳」に術式を刻む 』
仮にそう考えれば、羂索の脳に夏油傑の「術式」と「記憶」が刻まれている理由になる。
夏油傑の「何か」
これが羂索に刻み込むのだ。
「記憶」と「術式」を。
【反転術式治療】
詳しくは上の記事を見て貰いたいが、
反転術式は真希の火傷は治せない。
歌姫や東堂の顔の痣も、
メカ丸の全身の傷も治せない。
メカ丸の全身の傷も治せない。
何故か。
そもそも「治す」とは何か。
腕を繋げる。傷跡を塞ぐ。それなら分かる。
既にあるモノで治療している。
しかし反転術式は違う。
腕を生やす。不足部分を生み出す。
ではなぜ「傷跡」を治せないのか。
答えは単純だ。
ただ単に肉体を生み出すのであれば、
構築術式とさして変わらない。
構築術式とさして変わらない。
何か「制限」があるはずだ。
『肉体』のみという制限だろうか?
それなら傷跡を治せるし、腕を生やせるし、
お腹に口すら作れてしまう。
宿儺の特異性から考えて、それは無い。
宿儺の特異性から考えて、それは無い。
『設計図』に沿ってしか治せない?
これなら”アリ”だ。
その設計図とは何か。 『魂』だろう。
真人が「魂」を変え、人を変えるように、
「魂」のあるべき形に沿って人を治すのだ。
「魂」と「肉体」どちらが先か。
「鶏」と「卵」どちらが先か。
それは各々の『世界(考え)』が決める。
しかし鶏が先でも、卵が先でも、
その「役割」は変わらない。変えられない。
鶏は卵を産み、卵は鶏へと成長する。
鶏は卵を産み、卵は鶏へと成長する。
「魂」とは生命の設計図。
知識、記憶、経験そして『術式』。
全て刻まれている。それが魂なのだろう。
【生命の設計図】
「魂」が生命の設計図、
記憶も知識も術式もため込んだ
いわば個人用「アカシックレコード」
そうならば、堅牢な「器」は異常だ。
宿儺の知識や技術は神がかり。
加えて複数の術式保持の可能性。
つまりそれほどの情報量を持つ魂。
それを難なく抑え込む器、
(複数本同時に入れられると少し主導権を奪われるが)
『虎杖悠仁』
ここからは彼の強さについて考察する。
【脳のメモリがはちきれる】
4つ以上の術式を1つの体に刻むと
「脳のメモリがはちきれる」
では、脳のメモリとはなんだろうか。
記憶領域だろうか?
そもそも「脳」の必要があるのは何故か。
呪言師のように呪印を刻み、
それを用いて術式を発動できるならば、
「メモリ」は跳ね上がるはずだ。
それを用いて術式を発動できるならば、
「メモリ」は跳ね上がるはずだ。
ならなおさら疑問が挙がる。
「メモリ」とは何か。
呪言師や呪物、呪具のように、
『脳』以外にも術式が宿るなら、
「メモリ」は脳みそのような単なる
『記憶領域』を指さないはずだ。
『記憶領域』を指さないはずだ。
一旦、ここまでの話をまとめよう。
・魂とは生命の設計図である
・虎杖は「宿儺」という情報を抑え込む
・術式を入れる「メモリ」は脳に限らない
ここから導き出せる結論は一つ。
肉体は、大量の情報、つまり「魂」。
これを入れる「容器」。
容器の許容量こそが「メモリ」。
故に脳を持たない呪具も術式を有する。
(術師の術式が刻まれるのが呪言師を除いて脳なのは、脳が「情報」を処理する器官なので、術式という「情報」と結びつきやすいからだろう)
【虎杖悠仁は檻】
考察に考察を重ねるようで申し訳ないが、
今回考察した通り
『魂は生命の設計図』であり、
『メモリとは設計図を入れる記憶領域』
そう仮定する。
そしてここに以前考察した、
『虎杖が器なのは展延のように
他者の魂を薄めているから』と、
『虎杖には九相図の魂が入れられ、
消された。故に魂の容量があいている』
これを掛け合わせて考える。
つまり、虎杖悠仁という「檻」は、
9つの相性良い魂「九相図」を入れられ、
器の容量が拡張された。
器の容量が拡張された。
それらを消され「器」に空きができた。
展延が五条のバリアを中和するように、
獄門疆(源信)が「五条悟」という
「情報」を処理しきれず重くなるように、
虎杖悠仁は「宿儺」という情報を抑え込む。
一度に情報(指)を多量に挿入されない限り、
「魂(情報)」を広い空間で薄め、処理する。
(無量空処で例えるなら、一瞬で情報を多量に送るからパンクするわけで、同じ総量の情報を500年に分割して送られればパンクすることはないはず。ということ)
こう考えられる。
虎杖悠仁の手に渡った、「九十九の遺した魂の研究記録」ノートにもこのようなことが書いていたのかもしれない。
では、「虎杖悠仁」という完璧な器は、
どれほどの情報を蓄えることができ、
その肉体をどう活かせるのだろうか。
【源信の末路】
源信の能力は結界術。
呪いを封印し続け、死後呪物と成った。
五条すら封印する「獄門疆」へと。
「強すぎる相手を封印すると動けなくなる」
「最強を含め誰でも封印できる」
つまり、源信に起こったことは
虎杖にも起こり得るはず。
源信は実力者だったことが判明している。
だが、生前からここまでだったのか?
五条を封印できる程の術師だったのか?
答えはNOだろう。
禪院直哉が呪霊化することによって強くなったように、源信も死んで獄門疆という「呪い」になってから、「誰でも」封印できるほどに強力になった。そう考えるのが自然だ。
ならば、虎杖も成れるはず。
呪霊といえど「魂」はある。
というか、万物に「魂」はある。
それを注ぎ続ける。
多量の情報を肉体という「器」へ。
そうすれば虎杖は高みへと昇るだろう。
まるで獄門疆のように。
【奪わず、与えて殺す】
虎杖悠仁は極めて優れた器。
故に宿儺という情報すら悠々と抑え込む。
では、羂索が言った「メモリ」
それも虎杖は頭抜けているはず。
つまり、九十九の見立てでは
羂索という器に入る術式は最大4つ。
虎杖はそれを超える”9つ”。
あるいは、それ以上宿す可能性がある。
それは虎杖悠仁の肉体故に耐えられる
圧倒的情報量。
他の肉体なら不可能だ。
なら『あえて』肉体を明け渡せばどうなるか。
あえて明け渡し、肉体も相手の姿に変える。
呪力とは「感情」であり、記憶。
そして魂とは「情報」である。
ゆえに、雪崩れ込む情報の奔流。
そして魂とは「情報」である。
ゆえに、雪崩れ込む情報の奔流。
メモリを焼き切る、術式のあめあられ。
たとえ、宿儺であったとしても。
(虎杖悠仁に宿儺の術式は長らく刻まれていないし、少なくとも日車の「没収」時には影も形もない。しかし、来栖は彼女の意思で天使の術式を扱っているように見える。つまり、同意さえあればすぐに刻まれるかもしれない)
宿儺のように奪い、削ぎ、焼いて殺す。
わけではなく、
肉体を譲り、術式を与え、溢れさせ殺す。
それが虎杖悠仁の可能性ではないだろうか。
身に余る不幸(情報)を喰らい、溺れ死ね。