amedotのブログ

呪術廻戦の考察を主に書きます

【呪術廻戦】心は天元のようにどこにも存在しない

東堂葵の「俺達は全身全霊で世界に存在している」について天元の特徴」をふまえて考察しました。

 

「心」はどこにあると思いますか?

頭ですか?

心臓ですか?

お腹ですか?

私はどこにもないと思います。

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ネタバレ範囲は単行本1~17巻と公式ファンブック(公式FB)です。

 

 

【目次】

 

【呪力とは】

呪力とは「負の感情から生まれるエネルギー」であり、これを使って術式を発動したり、身体機能を向上させ戦う者を「呪術師」と呼ぶ。

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呪術廻戦2巻/芥見下々

負の「感情」から発生するという特性上、呪力のコントロールの修行は「感情のコントロールから始まる。

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呪術廻戦5巻/芥見下々

そして「腹がたつ」という言葉があるように一般的に呪術師は腹を起点に呪力を各部位へと流し、扱う。

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呪術廻戦5巻/芥見下々

しかし東堂が言うにはそれは「初歩」であり、『俺達は全身全霊で世界に存在している』らしい。おそらく前後の文脈的に東堂は「全身で呪力を練ることができる」そう言いたかったのだろう。

 

しかしこれらはおかしい。

 

「呪力が負の感情から生まれる」という論理は修行方法にも組み込まれているし、東堂や五条を含め強い人間も皆そう考えている。これが間違いであるとは考えづらい。

 

そしてセオリーになるということは「腹から呪力を流す」ことは不可能であるはずがない。実際に行うことが出来ることであるはず。

 

東堂の発言も虎杖の覚醒の手助けになっている以上、そんなに的外れなことを言っているとも思えない。

 

これらを総合して考えれば

『呪力とは「負の感情から生まれる」が、「腹から」なんなら肉体の「どこからでも」生み出すことができ、それを流して一か所に集めることで一流の術師は流れが読み辛く強力な攻撃をしている』

はずなのだ。

 

じゃあ至る所で発生できる

「呪力」とは

「負の感情」とは

どこから生み出されるのだろう

 

 

【心の所在地】

呪力は負の感情から生まれる

なら「感情」はどこで生まれるか。

 

科学的に言えば「脳(扁桃体)」だ。

「記憶」に人は心を動かされる。

 

しかし同じ質問をしたとき、こう答える人間もいるだろう。

「心」だと。

「心」とは目に見えず、物質として存在せず、しかし人間にはどこかにあると信じられている「何か」。我々は「心」を目で見ることが出来ない。故にある人は「心」「頭(脳)」にあると言い、ある人は「心臓」に、ある人は「肝臓」にあると言う。

 

仮に脳から感情が生まれ脳で生まれた負の感情から呪力が生まれているのなら、脳から起点に呪力を流すことが正解だ。心臓であっても同様に。

しかし先ほど書いた通り、呪力は全身から生み出せるものであってどこか特定の部位から発生する物であるとは思いづらい。

 

じゃあどうすれば

「どこからでも」

呪力を練れるのか。

 

発生源がどこにも

「無ければ」

良いのではないだろうか

まるで今の天元のように

 

天元

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呪術廻戦17巻/芥見下々

天元は過去編で同化に失敗し、進化してしまった。進化した天元「どこにでも居てどこにも居ない」存在に成り、故に複数の人間と同化が可能である。

つまり天元「ここにいる」と確定していないが「存在する」ことは確定しているから、どこにでも居ることができてしまう。

しかし我々人間は確かに「今この場所に存在する」ことが確定しているから、自分の前にあるモノにしか干渉することができない。

 

「どこにもいないからこそ

どこにでも影響を与えられる」

仮にこんな天元のような存在が人体にあって、それが呪力の源になっているのなら、腹や頭、肉体のどこからでも呪力を生み出すことができる。

 

つまり

「負の感情」「心」から生まれ、「心」天元と同様に肉体の「どこにでも居てどこにも居ない」なら、天元がいたる所で不特定多数と同化ができるように「心」「どこからでも呪力を練ることができる」

 

 

【術式】

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呪術廻戦2巻/芥見下々

術式は肉体に刻まれるらしい。

じゃあどこに刻まれるのだろうか。

何が肉体に刻むのだろうか。

 

以前、私は術式が刻まれる条件を「呪力が混ざること」だと考察した。

amedot.hatenablog.com

今回の話をふまえて考えるなら「呪力が混ざる」ということは「心が混ざる」ということに等しい。つまり術式は「心」「肉体」に刻むものであるはず。

 

ということは逆に言えば術式を里香に刻まれたかもしれない乙骨や、いつか宿儺の術式が刻まれるであろう虎杖は「心が混ざっている」のかもしれない。

 

乙骨はまだしも虎杖は相手が宿儺。

術式が刻まれるほど心が混ざって

自分を保つことができるのだろうか?

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呪術廻戦14巻/芥見下々

 

【余談】

≪呪力の源≫

呪力は感情から生まれている。

そして感情が生まれているのが「心」ならばそれは「どこにもない」「特定の臓器」である。そして「どこにもない」だろう。と前述したが、今回は特定の臓器から呪力が生まれていると仮定してみよう。

つまり

「心臓」

「脳」

「肝臓」

しかし実はこれらから呪力が生み出されているのだとすれば矛盾する描写が幾つも出てきてしまうことになる。

 

・心臓から

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呪術廻戦2巻/芥見下々

心臓から呪力が生まれているのだとすればそれを取り除いてしまった宿儺が呪力を練ることができるのはおかしい。体を治すにしても反転術式にも呪力が必要なはずだ。

 

・脳から

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呪術廻戦11巻/芥見下々

脳から呪力が生まれているのだとすれば夏油の脳と羂索の脳を入れ替えればその肉体は夏油の呪力ではなく羂索の呪力を発するはず。しかし実際は夏油の呪力を発する。

 

・肝臓から

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呪術廻戦12巻/芥見下々

これも虎杖は怪我したことがあるが、虎杖やその後乗っ取った宿儺は平然と呪力を扱っている。

(肝臓に心があるというのは聞きなじみが無いと思うが、バビロニア(現イラク南部)ではそういう思想があったらしい)

 

よってこれらから、「特定の臓器」に呪力を生み出す「心」は特定の部位に存在しないだろうと考えられる(そもそも心が特定の臓器にあるのなら呪霊や天元は呪力を練ることができないはず)

 

【どこにでもあってどこにもないモノ】

心は「どこにでもあってどこにもない」。そう前述したが、これは「どこにも存在しない」とは違う。「存在するが、特定の場所に在るわけではない」ということだ。ではそれは何か?

呪術廻戦2巻/芥見下々
「生得領域」だ。