amedotのブログ

呪術廻戦の考察を主に書きます

【呪術廻戦】文系でもわかる禪院家相伝「投射呪法」

禪院直毘人と直哉が使う

「投射呪法」について解説します。

ストーリー的なネタバレは皆無です

単行本派、アニメ派の方もどうぞ

※ただしあくまで個人の解釈となります。芥見先生が考えているものと100%同じであるという保証はできません。

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【目次】

 

【動画のしくみ】

投射呪法について説明する前に

「動画」の仕組みについて解説します。

「動画」は文字通り動く絵画ですが

実は厳密には動いていません。

少しずつ時間をずらした絵を描き、それを高速で切り替えることによって「錯覚」させています。厳密には0.1秒や0.01秒ごとに見れば瞬間移動するタイミングがあるわけですが、人間の脳はそれを認識できなかったり動いていると錯覚してしまうのです。

そしてゲームをする人なら聞きなじみがあるfps(視点の話ではない)」は簡単に言うと決められた時間あたりの絵の枚数のことを指しています。

つまり時間を1秒、枚数を60枚とすると

60fpsとなるわけです。

1秒ごとの静止画の枚数が多ければ多いほどアニメでいう「作画が凄い」になるわけです。

 

≪まとめ≫

動画は時間がずれた静止画を

高速で切り替えることで

動いていると「錯覚」させている

そして時間あたりの枚数のことを

fpsと呼ぶ。

 

【投射呪法】

「動画」について理解できれば「投射呪法」についてほぼ理解したと言っても過言ではありません。

 

結論から言うと「投射呪法」

脳内で作り出した「動画」

「具現化(再現)」する術式なのです

 

では実際に作中の説明を見てみましょう

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呪術廻戦13巻/芥見下々

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呪術廻戦13巻/芥見下々

これから分かる通り原理は
①対象者の視野から静止画を作る

②24fpsで動画を脳内で描く

③具現化(再現)する

この3つだけです。

 

動画が描けなかった際にフリーズしてしまうのは「静止画」が再現されてしまうから。

過度に物理法則や軌道を無視した動きを作った際にフリーズしてしまうのはそれが「動画」にならないからです。

例えば画面の右端から左端に

棒人間が移動したとします。

それは2枚の「静止画」であって

「動画」ではないですよね?

「移動」ではない

ただの「瞬間移動」です。

 

そして物理法則を無視した動きを再現

これも「動画」を「具現化」する術式

とは別の能力になってしまいます。

ただの「現実改編」です。

「瞬間移動」「現実改編」

「動画の具現化」ではないので

具現化できないのです。

 

つまり「投射呪法」とは

脳内で「動画」を作り

具現化(再現)する能力なのです。

 

↓補足。

 

 

【理系に向けた補足】

「動画」の説明をした際に言った通り、「動画」は現実と違って動いていると「錯覚」させているにすぎません。どれだけ作画が凄くても絵と絵の間には空白が存在します。

「投射呪法」で速度が上昇する原理はここにあるのだと思います。

「動画」が人間の目や脳を介して空白を消して、現実のように「動いている」と思わせているように「投射呪法」は脳内で作り出された24fpsの動画にあるはずの「空白」を速度を上昇させることで補っているのだと思います。

 

 

相伝の術式」とはなにかという考察です

amedot.hatenablog.com

【呪術廻戦】呪術は「祝福」か。双子の凶兆は「祟り」か

「双子」は「凶兆」

そう呼ばれる理由について考察しました

ネタバレ範囲は148、149話と単行本です。

お気を付けください。

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前半は「凶兆たる双子」について

後半は「呪術」と「祝福」と「祟り」

を考察しています。

 

禪院家の「呪い」とは

「呪術」とは

「祝福」なのでしょうか?

「凶兆」とは

「祟り」なのでしょうか。

 

 

 

【目次】

 

 

【凶兆たる双子】

 

《双子は凶兆》

双子は凶兆と言われている。

だがなぜ凶兆なのだろうか。

ここに仮定を立てた。

 

仮定

・双子は弱いから凶兆である

(扇が149話まで殺そうとしなかったということは強くなる可能性があると思われる)

 

・双子が生まれた代は不幸になるので凶兆である

(同じく殺そうとしなかったということは不幸にならない可能性があると思われる)

 

この2つが考えられる。

まずは双子は弱いから凶兆説について深く考える。

 

《第1の可能性》

149話で真依によって双子は呪術的に「同一人物」であると説明された。だから弱いのだと。

だが同一人物と言っても色々な種類がある。

「真人タイプ」「覆面男タイプ」だ。

 

渋谷事変で真人は元は1つの魂を分けることで、肉体を増やした。これは両方「真人」であると言えるだろう。つまり同一人物と言えるはずだ。

 

次に過去編で出てきた覆面男

彼は自分を複製させることができた。

 

これらの違いは「魂を分割した」

「魂を複製した」かだ。

 

双子はどちらなのだろうか。

 

《魂の分割》

amedot.hatenablog.com

この理論は以前にも記事に書いたがつまりは普通の人間が1の魂を1人の人間で占領するのに対し、双子は1の魂を2人で分け合って生まれてしまう。そして真人の分身の術式や呪力が弱体化していたように、弱い魂をもって生まれるため弱くなる。

0.5ずつ魂を持ったとしたら半人前の呪術師が2人。0.7と0.3ずつ魂を持ったとしたら中途半端な術師と中途半端な天与呪縛者が生まれてしまうということだ。そして魂が元は同じものだった故に繋がりが強いのだ。

これが「魂の分割説」

図で表すとこんな感じだ↓

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《複製説》

文字通り「同一人物」という説だ。

図で表すとこうなる↓

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つまり真希と真依は本来同じ素質(構築術式)を持って生まれるはずだったが、真希はその術式を捨てることで天与者である真希と真依という歪なコンビが生まれてしまったということになる。

 

これ以上考察しても面白くならなさそうなので詳しく気になる方はTwitterで考察しているのでそちらを見て欲しい。(引用RTも使いつつツリーにしている)

 

 

【呪術と祝福と祟り】

 《異能力》

ここ十数年の少年漫画、特にバトル漫画の主人公は大体が「異能力」を持っている。それはあるときは「気」、またあるときは悪魔の実「個性」という名前で呼ばれ、その能力、強さを磨きあげることよって未来を勝ち取る。それが少年漫画のテンプレ的な流れだ。そしてそのルールは週刊少年ジャンプで連載している「呪術廻戦」にもあてはまる。「呪術」という異能力を使い、彼らは自分が思い描く未来を手繰り寄せる。

だが「呪術」「気」悪魔の実のような、望んだ未来を手繰り寄せるだけの「異能力」とは少し毛色が違う。夜蛾学長が「呪術師に悔いのない死はない」と言うようにそれを扱う者は基本的に不幸になって死んでいく。しかも「呪術師」になる理由は七海が両方クソと言ったように「家系」「家計」「人を助けたい」等の呪術師を選ぶ必要の無い消極的なものが根幹にあることが多い。なのにも関わらず時に命を天秤にかけ、任務を優先しなければならない。そしてそれはその秘匿性から世間に認められることは現状皆無と言っていい。東堂というワクワクすることがやりたいという冒険心から呪術師を選ぶ者もいるが、きわめて例外的であるし、術式を失った彼はそんな場面に合うことは減ってしまうことだろう。

もちろん「呪詛師」もこの不幸からは逃れることが出来ない。考えて欲しい。誰もが一度は犯罪を視野に入れてしまったことがあるはずだ。あのおもちゃが欲しい。あいつが憎い。思い通りに動かしたい。壊したい。でも常人は踏みとどまる。否、実現する力が無いだけだ。法や警察という抑止力を倫理観という言葉に変換しているに過ぎない。抑止力が無ければ倫理は薄れてしまうのだ。だがこの抑止力は基本的に「呪術」には働かない。犯罪フリーパス券を持って、周囲には無い強力な力を持って生まれて、今と同じ倫理観を保てる人間が何割いるだろうか。善悪は環境によって容易く変化してしまうのだ。そういった意味で「呪詛師」も同様に「呪術」によって不幸になっていると言えるだろう。

そういった特徴を持つ「呪術」はどちらかといえば僕のヒーローアカデミア「個性」に近い。「個性」「遺伝」であれ「個性による継承」であれ徐々に強力なものへと変化していく。そしていつか人間という器の限界点を超える。そのときどうなるかは主人公の苦悩を見れば想像がつく。そして現状それを避ける方法は全人類が「個性」を失うことしかない。つまりヒロアカにおける「異能力」は未来を切り開く手段という「幸運」であると同時に人類には必要なかった「不幸」なのだ。

 

《現実の呪術と祝福と祟り》

現実社会における

「呪術」「祝福」「祟り」

これらの違いをご存知だろうか?

「呪術」とは非超常的存在である人間や霊が他者に不幸を与える行為のことを指し、「祝福」とは超常的存在である神等が他者に幸福を与える行為、またはその幸福そのもののことを指し、「祟り」とは超常的存在による不幸を与える行為、またはその不幸そのものを指す。

 

つまり

霊(人間)→ 人間  は呪術(呪詛)

神 → 人間     は祝福or祟り

ということです。

ここからは現実での「呪術」「呪術」

呪術廻戦の「異能力」としての

「呪術」『呪術』とします。

(ここからややこしくなるのでこれらの定義をちゃんと頭に入れておいてください)

 

この定義に当てはめれば、望んだ未来を手繰り寄せる「異能力」である「気」や「悪魔の実」は神の「祝福」と言えるだろう。逆に未来を切り開く力であると同時に人類に必要のなかった「個性」は「祟り」であると言える。
ならば『呪術』はどれなのだろうか。
人や呪霊を呪い、自らが望む未来に近づこうとする方法としての『呪術』はまさしく現実社会における「呪術」と同じである。そしてその力を振るい、望んだ未来に近づこうとする様を見ると、天に「祝福されている」ように感じる。だが『呪術』という不幸になる才能を授けられてしまったその状況は「祟られている」とも考えられる。
 
『呪術』「祝福」ならば良い。
それで未来を切り開けるから。
だが「祟り」なら
不幸という「代償」が必要なはずだ。
強い力であればあるほど強い「代償」が。
そして強い力を何代にも渡り継承し続けた者
その「代償」「悔い」程度に収まるのだろうか?
 

《第2の可能性》

はじめに「双子は凶兆」の可能性を2つ挙げた。
1つめは「弱いから」
次に「不幸が起こりがちだから」と。
 
今度は後者について考えていきたいと思う。
「双子」「祟り」
「代償の兆し」なのではないだろうか。
149話にて真希は真依の死によって扇が甚爾を思い起こす程の肉体と白い毛の生えた刃を手に入れ、禪院を、全てを壊す覚悟を決めた。ということは過去に真希と同様に甚爾は禪院に牙をむいたことがあるということだ。
 
そして以前の記事でも述べた通り
真依の命と真依と真希がこれから得られたであろう全ての呪力を犠牲にして生み出された刃は過去編で甚爾が携えていた刃に非常に似ている。

つまり

刃を持っている人間は両者

完全なフィジカルギフターであり

所持している刃は似ており

同様に禪院家に牙をむいている。

禪院家に「不幸」が及んでいるのだ。

これが禪院家が『呪術』を継いできた

「祟り」による「代償」

双子は不幸の兆しだったのではないか。

故に「双子は凶兆」

 

だとすれば他の家が払う「代償」とは

どんなものになるのだろうか。

 

 

【嘘食い】本当の噓つきは言の葉無くとも噓をつく

嘘喰いの考察記事です。

今更?感はありますが、久しぶりに読み返したら気づいたので…

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必要最低限に抑えてはいますが

ラビリンス編のネタバレを含みます。

(単行本9巻~14巻)

未読の方はお気を付けください。

 

【目次】

 

 

【ラビリンス】

嘘食いは「ラビリンス」というゲームの中で「手で顔に触れる」ことで盗聴を隠し、その情報を最大限活かし、勝ってみせた。

だが、手で顔に触れるという行為は本当に違和感がないものなのだろうか。急に顔に手をあてはじめれば何かをやっているのか?そう考える人間は少なくないはずだ。

しかし読んだことのある者になら理解していただけると思うが、あのとき、あの場所において違和感はほぼ存在せず、「そんなことをしていたのか!」と門倉立会人と一緒に驚いたはずだ。

なぜ、私たちはその行動に

違和感を抱けなかったのだろうか。

 

【嘘は「つく」もの】

人間は集中している事以外はかなり認識が適当な生き物だと言われている。「見ているもの」しか見えないのだ。

だから私は、嘘喰いと天真の高度な化かし合い、出し抜き合いについて行くのに必死でそこまで意識を回すことができなかった。だから違和感に気付くことができなかった。そう、つい最近まで考えていた。

だが久しぶりにラビリンス編を読み返し

そうではない可能性に気付いた。

嘘喰いはユッキーと戦っていた時から既に少しずつ、読者と門倉立会人に「楔」を打ち込んでいたのではないだろうか。

 

【ケイソク】

 

以下に行われた賭郎勝負にて嘘食いとその対戦相手が顔に触れた回数と勝負終了にかかった話数をまとめた(ラビリンス編まで)

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(※髪の毛に触れる行為はカウントせず、あくまで顔へのタッチのみを計測。触れているか曖昧な箇所は極力はぶく。表紙やおまけはカウントしない。

頬杖は座っていないとできない行為であり、座らない勝負もあるので0.5回として計測。

止血する、カリ梅を食べる等の必須な行動によるものはカウントしていない。

顔に触れた「コマ数」を計測

数え間違っていたら申し訳ない)

 

見てもらうと分かる通り、唯一座っているギャンブルということを考慮しても尚ユッキー戦は顔に触れ過ぎている。

しかも実は嘘喰いVS天真は137話の嘘喰いと天真のMP勝負(1点を7回)と144話の嘘喰いと箕輪のMP勝負時(1点を4回)を除けば、逆に極端に少なすぎる。

 

つまり読者と門倉立会人は

ユッキー戦で多く顔に触れる姿を見て

「違和感」を打ち消す「楔」を打たれ

天真戦では逆に極端に顔に触れることを減らされ、意識を別方向に向けられていたのだ。

 

真の嘘つきである

嘘喰い

いや

迫稔雄先生

「言葉」なんて無くとも

嘘がつけてしまうのだ。