amedotのブログ

呪術廻戦の考察を主に書きます

【呪術廻戦】五条悟から夏油傑への最後の言葉は「寂しいよ」  

呪術廻戦0の最後、
五条悟が夏油傑に向けた言葉。

分かっていることは

「はっ 最後くらい呪いの言葉を吐けよ」
という夏油の反応と、

作者の「0巻で既に言っている」発言だけ。

何を言っていたのでしょうか。

考察しました。

 

ついでに夏油と五条の性格も分析しました。



ネタバレ範囲は単行本0巻~9巻、公式ファンブック(公式FB)です。

特に0巻と8、9巻の重大なネタバレを含みます。

 

※映画呪術廻戦0のネタバレは全くありませんが映画を見て、それをふまえて考察しています。

 

 

【目次】

 

 

【おさらい】

呪術廻戦には3つの時間軸がある。

0巻の乙骨が主人公の時間軸

1巻から始まる
虎杖が主人公の時間軸

8巻から始まる
五条が主人公の時間軸



今回はこれらの時間軸をそれぞれ、
0巻
本編
過去編
として表します。

 

【0巻と本編と過去編の五条悟】

五条は夏油を逃がした日から変化した。
事実、過去編の五条は夏油を殺せず、
0巻では殺害できた。

何故か。

殺したくなった?

いいえ。

『殺す理由ができた』

からです。

 

【殺す理由】

五条は夏油を過去編で殺せなかったのに0巻では殺している。じゃあ、過去編から0巻の間に夏油に対する友情が薄まったのだろうか?五条にとって夏油は「どうでも良い人間」に成り下がってしまったのだろうか?

違う。

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呪術廻戦0巻/芥見下々

あの『青春の日々』は五条にとって重く、楽しい日々であり、そんな3年を共に過ごした夏油は今も、昔も、殺した後すらも「たった一人の親友」だったはずだ。

 

なら五条はなぜ夏油を殺したのか

「親友を殺すほどの理由ができた」からだ。

 

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呪術廻戦2巻/芥見下々

五条悟には夢がある。

その詳細はまだ分からないが、後輩を育成し、何かを成そうとしている。「呪術高専の教員」として、「呪術師」として。そんな五条にとって呪術師の敵、生徒の敵、「夏油傑」は五条の敵でもあり殺さなくてはならない相手。

もちろん、できることなら殺したくはなかっただろう。100人殺したなんて全てで、もう一度隣で笑っていられたなら一番良かっただろう。
蒼き春を取り戻すかのように、
また二人で笑いあいたかっただろう。

しかしそれは事実

だから五条は「夢」を選んだ。

 

つまり

「五条悟」にとっての「夏油傑」は、
「夏油傑」にとっての「両親」だった。

 

【夏油が両親を殺した理由】

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呪術廻戦9巻/芥見下々

夏油は過去編で両親を殺した。

しかも残穢で分かるということは
誰かに委託しているわけではない。

 

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呪術廻戦0巻/芥見下々

そして0巻では「家族」と称し、美々子や奈々子のような仲間を大切に扱っていた。しかしわざわざどうして血も繋がっていない他人「家族」と呼んで愛しているのだろうか?

例えば夏油の本当の「家族」、非術師の両親が夏油に暴力を振るっていたりするゴミのような人間だったとしたら、夏油は「家族」という言葉に対しどんな印象を持つだろうか?

悪い印象しか持たない。

その名を愛する対象につけるだろうか?

つけない。

 

なら夏油にとって家族は愛し守る対象。
両親そのうちの2人だったはずだ。

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呪術廻戦9巻/芥見下々

五条が驚いたのは夏油の人柄から信じられなかったのもあると思うが、もしかすると初任給で親にプレゼントしたとか、あるいは両親の良いエピソードを夏油から聞いていたりしていたからなのかもしれない。

 

そんな夏油が両親を殺したのは、
殺す「理由」があったから。

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呪術廻戦9巻/芥見下々

呪力を垂れ流し、呪霊を生む原因となっている非術師を皆殺しにすることで、呪霊によって死にゆく呪術師を救いたかった。
それが夏油の理由であり「夢」だった。

 

しかし両親は「非術師」
殺す対象。
殺す理由がある。
だから殺した。

夢が霞んでしまわないように

自分が逃げてしまわないように

 

【終わった言葉】

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呪術廻戦8巻/芥見下々

夏油は呪霊操術を扱う
そして呪霊操術で操られた呪霊の呪力は
術師の物と異なる

つまり「夏油の残穢
「夏油が操る呪霊の残穢
”別物”のはずだ。

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呪術廻戦0巻/芥見下々

更に夏油の呪霊操術の射程は、
東京と京都へ同時に呪霊を放つ程に広い。

 

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呪術廻戦9巻/芥見下々

じゃあ実家に残穢が残っているのは
「わざわざ直に両親を殺害した」から。

「本当は両親を殺したくなかった」

そんな気持ちがあるのなら、京都に呪霊を放った百鬼夜行のときのように、遠隔で実家に呪霊を送って殺せば、両親の死を見ずに済む。
そうすれば夏油の残穢も残らなかった

しかし彼はその場に赴いた

その場に居たのなら、呪霊すら介さず
その両手で親を殺したのかもしれない。

 

なら、「今日、この手で親を殺す」
そう覚悟して実家に帰ったはず。

だが、直に殺すなら一度は両親と会う。

帰省した息子に対し、
両親は話しかけてきだろう。

「おかえり。元気だった?」と。

多少は覚悟が揺らいだだろう。
後悔もしたのかもしれない。

しかしもう決めている。

決めなければならない。

そんな状況で夏油が選ぶ言葉。

『 別れの言葉 』

そんなものが仮にあったのなら、
「ありがとう」のような
『今の言葉』ではなく、
「ありがとうございました」のような
『終わった言葉』だろう。

「理由」「責任」が乗った

親に自分に向けた覚悟の言葉

それが 最後の言葉 』であるはずだ。

 

【五条の覚悟】

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呪術廻戦2巻/芥見下々

五条悟にも夢がある。
実現のために命を懸ける覚悟もある。

 

0巻、乙骨を守った。

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呪術廻戦0巻/芥見下々

里香が暴走したら命がけで止めたと言い、乙骨が総監部(上層部)の敵と認定されたら乙骨の側に立つと言った。

しかし心残りがあったはず。

殺せなかったせいで呪詛師と成り、
人を呪い続けている親友、夏油傑

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呪術廻戦0巻/芥見下々

パパ黒が死に、禪院家に売られそうになっていたところを預かり、保護者代わりをしていた伏黒恵

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呪術廻戦9巻/芥見下々

そんな気がかりがあっても、譲れないモノのために命を懸けて乙骨の味方と言った。

 

五条夏油も同様に「夢」のために、それ以外の重大な何かを、親友すらも全て捨てる覚悟をして大人になった。だから五条は過去編で殺すことが出来なかった夏油を0巻ではほぼ躊躇うこと無く殺すことができた。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

夏油を逃してしまったあの日から、
五条の「理由」
「夏油」から
「夢」へと変わった。

 

【最後の言葉】

五条に夏油と同様に譲れない「夢」があり、
それ以外の全てを捨てる覚悟がある。

仮にそうなら、五条の最後の言葉も
「終わった言葉」だろう。

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呪術廻戦0巻/芥見下々

腕を失い、呪霊を失った満身創痍の夏油。
対するは
ほぼ万全の状態で、殺しに来た『五条悟』

「詰み」

誰よりも視える自分が一番分かっている。

 

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呪術廻戦0巻/芥見下々

だから遺言を聞く。

 

”あのとき”と同じように。

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呪術廻戦9巻/芥見下々

もう、詰んだ夏油。

たった一人の親友。

知らぬ間に笑えなくなっていた

1人になっていた親友。

1人になる自分。

譲れない「夢」

それを胸に、遺す言葉は

 

「あの日々」とは真逆の

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呪術廻戦8巻/芥見下々

 

 

 

「寂しいよ」

 

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呪術廻戦0巻/芥見下々

 

 

 

 

 

【余談(ここからはネタバレ範囲16巻まで)】

≪覚悟の証明≫

「害獣」、「害虫」、「罪人」

人間は「攻撃する理由」がある相手には簡単に嫌悪し、殺意を抱くことができる。しかしそれが「良い害獣」、「良い害虫」、「良い罪人」。例えば渋谷編以降の「虎杖悠仁のようになると違ってくる。

だがそれらを区別することなく、私たちの代わりに等しく全て駆除してくれる「業者」「検察官」のような人間が居るから我々一般人は平和に暮らすことができている。

「覚悟」とは、
「悪い罪人」を殺す時ではなく、
「良い罪人」を殺す時にこそ試される。

 

夏油は「良い罪人」も殺す覚悟をした人間
だから守る対象だったはずの両親を殺した。
だから極力「良い罪人」との関係も絶った。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

しかし美々子や奈々子のような家族は違う。
彼女たちは私的にスマホを使うし、クレープだって食べる。なぜなら彼女たちが嫌悪しているのは「悪い非術師(罪人)」だけだからだ。そして彼女たちにとって「悪い非術師」とは自分を迫害したあの村の人間やそれに近い大人であり、彼女たちが敬う夏油が嫌悪する人間だけ。

もしも夏油の家族(夏油一派)が非術師になったら夏油は迷うことなく殺すだろうが、夏油が非術師になったとしても家族は夏油を殺さないだろう。

彼女たちの嫌悪に「覚悟」は存在しないから

彼女たちが言う「非術師が嫌い」という言葉は、我々が言う「ゴキブリが嫌い」と何ら変わりはしない。

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呪術廻戦6巻/芥見下々

彼女たちの「理由」は、
「夏油傑(他者)」なのだ。
過去の五条と同じように

だから美々子や奈々子たちは夏油にとって
「親友」ではなく『家族』なのだ。

≪置いて行かれたのは≫

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呪術廻戦8巻/芥見下々

五条は煽りとして使うほどに「孤独」であると認識していた。そんな中現れた対等に会話し、時に自分のブレーキになってくれる「夏油傑」。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

そんな夏油を善悪の指針にしていた。
つまり行動の「理由」にしていた。
隣合い歩いていたように見えて、
その実は親の真似をする子供のように、
「夏油の後ろを五条が歩いていた」。

つまり学生時代の彼らにとってお互いは、
「親友」だと思っていたのかもしれないし、
それほど深い関係だったのだろうが、
実際は「兄弟」の関係に近い。

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呪術廻戦16巻/芥見下々

故に前を歩く夏油は辛い。

強者である自分が間違えれば、後ろの人間は皆、間違えてしまうかもしれない。それ程大きい「理由」と「責任」が彼の双肩に乗っているのだから当然だ。

だからどれだけ力をつけようと、対処療法を繰り返す限り術師が死にゆく中、無意味に呪霊を食べ続けることとは違う大義が必要だった。「弱者生存」の信念に合う大義


自分は正しい道にいる。
無意味じゃない。
目の前の闇は光へと繋がるはず。

呪術廻戦9巻/芥見下々

そう思わせ、不安に対し、苦痛に対し、盲目でいさせてくれるような、『自分にできることを精一杯頑張るため』の、行動の「理由が彼には必要だった。

もしも仮に過去編で既に五条の「理由」「夏油傑」では無かったなら、五条が前か横にいてくれたなら、夏油が見出した非術師殲滅「狂った理由」相談することができていたのかもしれない。九十九由基(大人)にそうしたように。

「最強」に乗る「責任」「理由」を、
天内を救う選択をしたように「対等」なら、
事実はどうあれそう思えていたならば、
2人で分け合えたのかもしれない。

しかしそうではなかった。

五条は信者殲滅を夏油に問いた。
あの日、五条の「理由」は、
「夏油」だと知ってしまった。

本気で相談すれば、夏油の「理由」
五条の「理由」になるかもしれない。
「非術師殲滅」を掲げるかもしれない。
「コイツら殺すか?」と五条が提案したあのときのように、出会って間もない天内を救うために高専を裏切り、天元を敵にするかもしれない判断を下すことができたあのときのように、五条は「理由」さえあれば立派に狂えてしまえるのかもしれない

だから高専を抜けた。

「狂った理由」を自分を追う者たちに
強制したくないから。
するべきではないと思ったから。

 

だから独り。相談が「できなかった」

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呪術廻戦0巻/芥見下々

夏油が一人になったのは、五条が最強になったからだけではない。五条が親友のように夏油の「横」にいたのではなく、家族のように「後ろ」に居たから。

置いて行かれていたのは五条悟。

「最強の呪術師」だった

 

五条悟が強いのは

前を行っていた夏油傑のおかげだ

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呪術廻戦16巻/芥見下々

だから五条は教師という、
「前に」立つ立場を選んだのだろう。

大切な人を二度と一人にしないために、
自ら前」という孤独を選んだのだろう。

それが”五条悟”の「強さ」の理由。
最強の所以。

 

「理由」が「夏油」でなくなったあの日
夏油を逃がしてしまったあの日
真に夏油の「横」に立つ資格を得た。
依存する関係ではなく対等な関係になった

夏油を殺す「理由」のおかげで、
五条は夏油と「対等」に成れた。

つまり殺す「覚悟」がブレることは
「親友」であることの放棄に等しい。

 

だから「最後の言葉」

夏油が死ぬことが確定した言葉

死ぬ前提の言葉。

「寂しいよ」だろう。

amedot.hatenablog.com

≪他の言葉≫

「寂しいよ」の他に五条が夏油に遺した言葉の候補として上がっているのは主に「親友だよ」「愛してる」「おかえり」この辺りであると思う。

それに対する私の持論の詳細はTwitterにツリーとして5つほど繋げて載せてあるので興味がある方は見て欲しい。

 

 

≪関連記事≫

↓考察バチ当たり集

amedot.hatenablog.com

↓五条悟だから最強なのか?の解説

amedot.hatenablog.com

 

↓乙骨の術式『里香』とは

amedot.hatenablog.com

 

↓羂索の目的とは

amedot.hatenablog.com

 

↓夏油傑は日車寛見に似ている。

amedot.hatenablog.com

 

 

【呪術廻戦】心は天元のようにどこにも存在しない

東堂葵の「俺達は全身全霊で世界に存在している」について天元の特徴」をふまえて考察しました。

 

「心」はどこにあると思いますか?

頭ですか?

心臓ですか?

お腹ですか?

私はどこにもないと思います。

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ネタバレ範囲は単行本1~17巻と公式ファンブック(公式FB)です。

 

 

【目次】

 

【呪力とは】

呪力とは「負の感情から生まれるエネルギー」であり、これを使って術式を発動したり、身体機能を向上させ戦う者を「呪術師」と呼ぶ。

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呪術廻戦2巻/芥見下々

負の「感情」から発生するという特性上、呪力のコントロールの修行は「感情のコントロールから始まる。

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呪術廻戦5巻/芥見下々

そして「腹がたつ」という言葉があるように一般的に呪術師は腹を起点に呪力を各部位へと流し、扱う。

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呪術廻戦5巻/芥見下々

しかし東堂が言うにはそれは「初歩」であり、『俺達は全身全霊で世界に存在している』らしい。おそらく前後の文脈的に東堂は「全身で呪力を練ることができる」そう言いたかったのだろう。

 

しかしこれらはおかしい。

 

「呪力が負の感情から生まれる」という論理は修行方法にも組み込まれているし、東堂や五条を含め強い人間も皆そう考えている。これが間違いであるとは考えづらい。

 

そしてセオリーになるということは「腹から呪力を流す」ことは不可能であるはずがない。実際に行うことが出来ることであるはず。

 

東堂の発言も虎杖の覚醒の手助けになっている以上、そんなに的外れなことを言っているとも思えない。

 

これらを総合して考えれば

『呪力とは「負の感情から生まれる」が、「腹から」なんなら肉体の「どこからでも」生み出すことができ、それを流して一か所に集めることで一流の術師は流れが読み辛く強力な攻撃をしている』

はずなのだ。

 

じゃあ至る所で発生できる

「呪力」とは

「負の感情」とは

どこから生み出されるのだろう

 

 

【心の所在地】

呪力は負の感情から生まれる

なら「感情」はどこで生まれるか。

 

科学的に言えば「脳(扁桃体)」だ。

「記憶」に人は心を動かされる。

 

しかし同じ質問をしたとき、こう答える人間もいるだろう。

「心」だと。

「心」とは目に見えず、物質として存在せず、しかし人間にはどこかにあると信じられている「何か」。我々は「心」を目で見ることが出来ない。故にある人は「心」「頭(脳)」にあると言い、ある人は「心臓」に、ある人は「肝臓」にあると言う。

 

仮に脳から感情が生まれ脳で生まれた負の感情から呪力が生まれているのなら、脳から起点に呪力を流すことが正解だ。心臓であっても同様に。

しかし先ほど書いた通り、呪力は全身から生み出せるものであってどこか特定の部位から発生する物であるとは思いづらい。

 

じゃあどうすれば

「どこからでも」

呪力を練れるのか。

 

発生源がどこにも

「無ければ」

良いのではないだろうか

まるで今の天元のように

 

天元

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呪術廻戦17巻/芥見下々

天元は過去編で同化に失敗し、進化してしまった。進化した天元「どこにでも居てどこにも居ない」存在に成り、故に複数の人間と同化が可能である。

つまり天元「ここにいる」と確定していないが「存在する」ことは確定しているから、どこにでも居ることができてしまう。

しかし我々人間は確かに「今この場所に存在する」ことが確定しているから、自分の前にあるモノにしか干渉することができない。

 

「どこにもいないからこそ

どこにでも影響を与えられる」

仮にこんな天元のような存在が人体にあって、それが呪力の源になっているのなら、腹や頭、肉体のどこからでも呪力を生み出すことができる。

 

つまり

「負の感情」「心」から生まれ、「心」天元と同様に肉体の「どこにでも居てどこにも居ない」なら、天元がいたる所で不特定多数と同化ができるように「心」「どこからでも呪力を練ることができる」

 

 

【術式】

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呪術廻戦2巻/芥見下々

術式は肉体に刻まれるらしい。

じゃあどこに刻まれるのだろうか。

何が肉体に刻むのだろうか。

 

以前、私は術式が刻まれる条件を「呪力が混ざること」だと考察した。

amedot.hatenablog.com

今回の話をふまえて考えるなら「呪力が混ざる」ということは「心が混ざる」ということに等しい。つまり術式は「心」「肉体」に刻むものであるはず。

 

ということは逆に言えば術式を里香に刻まれたかもしれない乙骨や、いつか宿儺の術式が刻まれるであろう虎杖は「心が混ざっている」のかもしれない。

 

乙骨はまだしも虎杖は相手が宿儺。

術式が刻まれるほど心が混ざって

自分を保つことができるのだろうか?

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呪術廻戦14巻/芥見下々

 

【余談】

≪呪力の源≫

呪力は感情から生まれている。

そして感情が生まれているのが「心」ならばそれは「どこにもない」「特定の臓器」である。そして「どこにもない」だろう。と前述したが、今回は特定の臓器から呪力が生まれていると仮定してみよう。

つまり

「心臓」

「脳」

「肝臓」

しかし実はこれらから呪力が生み出されているのだとすれば矛盾する描写が幾つも出てきてしまうことになる。

 

・心臓から

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呪術廻戦2巻/芥見下々

心臓から呪力が生まれているのだとすればそれを取り除いてしまった宿儺が呪力を練ることができるのはおかしい。体を治すにしても反転術式にも呪力が必要なはずだ。

 

・脳から

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呪術廻戦11巻/芥見下々

脳から呪力が生まれているのだとすれば夏油の脳と羂索の脳を入れ替えればその肉体は夏油の呪力ではなく羂索の呪力を発するはず。しかし実際は夏油の呪力を発する。

 

・肝臓から

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呪術廻戦12巻/芥見下々

これも虎杖は怪我したことがあるが、虎杖やその後乗っ取った宿儺は平然と呪力を扱っている。

(肝臓に心があるというのは聞きなじみが無いと思うが、バビロニア(現イラク南部)ではそういう思想があったらしい)

 

よってこれらから、「特定の臓器」に呪力を生み出す「心」は特定の部位に存在しないだろうと考えられる(そもそも心が特定の臓器にあるのなら呪霊や天元は呪力を練ることができないはず)

 

【どこにでもあってどこにもないモノ】

心は「どこにでもあってどこにもない」。そう前述したが、これは「どこにも存在しない」とは違う。「存在するが、特定の場所に在るわけではない」ということだ。ではそれは何か?

呪術廻戦2巻/芥見下々
「生得領域」だ。

【呪術廻戦】曇りなき心の月を先立てて浮世の闇を照らしてぞ行く

(注)単行本になっていない範囲(現時点は17巻発刊済み)の重大なネタバレを含みますので、166話以前、特に159話~166話を読んでから本記事を読むことを強くお勧めします。

かなり個人的な解釈、考察を含みます。

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正しく生きれば報われるのでしょうか?

じゃあ正しさのためになら死ぬことも

良いことなのでしょうか?

正しさとはどこにあるのでしょうか?

ね?

 

虎杖 悠仁

 

 

【目次】

 

【日車寛見という男】

今週(166話)に触れる前にいくつか整理しなくてはいけません。

「日車はなぜ弱者を助けていたのか」

「日車はなぜ102点を取るに至ったのか」

 

なのでまずはそれ以前の話からになります。

 

 

【日車は何故大江を弁護したか】

日車は何故大江を弁護したのでしょうか。大江は無罪であると信じていたからでしょうか。大江が可哀想だったからでしょうか。正義を追い求めていたからでしょうか。

おそらく全て少し違います。

 

確かに大江は有罪ありきの裁判によって有罪になったし、犯行推定時刻にコンビニにいたらしい。しかし彼は住み込みで働いているNPO法人給料をまともに支払われてはおらず、弁当や食材の現物支給、お年玉を貰う程度。さらに月5万の家賃の請求。NPO法人の活動以外にバイトをしていたとしてもその困窮した生活にありながら自炊をせずコンビニで何の食材を買うのかは疑問である。犯行推定時刻だってずらす方法が無いというわけでもない。盗品が大江の部屋に無かったのも偽装工作じゃないとも言い切れない

大江はたまにのご褒美として自分にコンビニで何かを買っていた、ただの善良な市民で、本当の犯人は行方が分からなくなった人間だったのかもしれないし、犯行推定時刻をずらし、コンビニでアリバイを作っていた犯人なのかもしれない。あるいは他の可能性かもしれない。

少なくとも今、我々読者が知ることのできる情報では大江を犯人であると確定付けられないのと同じように、今出てきている情報では大江を犯人ではないと確定させることも出来ない

 

しかし日車は大江を弁護する。

なぜか。

推定無罪という言葉があるように、法治国家では「証拠」「法律」に基づいてのみ人間は罰せられるべきであり、どうせ犯人だという「民意」「有罪ありきの裁判」という「おかしい」ことを放っておくことができないからだろう。

 

「大江」という特定の個人を救いたかったわけではなく、無罪を確信していたわけでもなく「おかしいことに押しつぶされた人間」を救いたかっただけなのだ。

それが「日車寛見」という男であり

「弁護士」という職業のルール。

じゃあ日車は「自分が助けた人間が人を殺したら(殺していたら)どう思うのだろう。

 

恵のように取捨選択するんだろうか

 

悠仁のように何も考えず救うんだろうか

 

【22人殺した理由】

日車は術式開花からたった12日で102点取得しています。つまり最低でも「術者20人」と「非術者2人」を殺しているはずです。

 

おそらく日車がそうなってしまったのは有罪ありきの裁判が行われたあの日でしょう。日車は有罪ありきの裁判という「おかしいこと」とそれを変えることのできる「力」を目の前に並べられてしまった。

 

彼はこう思ったことでしょう。

「なぜ有罪ありきの裁判なんかによって、自分の正しさを信じて生きようとしていた自分が、どうして助けようとしていた相手に責められているのだろう。自分は間違っていたんだろうか。ルールからこぼれた彼を見捨てていればよかったんだろうか?

そして違うと思った。信じた。

だから彼はその力を振るった。

「裁判」を再開した。

 

そのあと何が起こったのか。今はまだ推察することしかできません。

日車の術式では実際の裁判の結果を変えることは出来ない。仮にあの「裁判」によって裁判官や検察官が不正を働いたと自白したとして、大江が無罪になれたとして、そもそも大江が犯人ではないと言い切れない犯罪者が野に放たれる手伝いをしただけだったのかもしれない。

 

しかし確実に言えるのは日車は「おかしいこと」を正すことのできるかもしれない力が自分にはあることを、あのとき自覚したはずです。

 

じゃあ「おかしいこと」はどうすれば無くなるのでしょうか。

作中日車もほのめかしていた通り、「完璧」であり「絶対順守のルール」を作れれば良い。

きっとそのためにいくらか人は死ぬでしょう。いくら死滅回游が自分の意志で宣誓しなければ参加できない(入る際にコガネによって確認が入り、元から入っていた人間は一度出れるため、確実に一度宣誓する必要がある。ただし羂索に関与された人間を除く)とはいえ、不本意に入らざるを得ない人、そして不本意に死ぬ人は出るでしょう。多少の「おかしいこと」は生まれるでしょう。

しかし犯罪しても捕まらない人間や、犯罪していないのに捕まる人間のような大量に起こっている「おかしいこと」は解決することでしょう。

だからあの日

日車は目を塞いだ。

自分の罪から目を背けた。

そして彼は102点を取ったのでしょう

少しのおかしいことに蓋をして。

 

【日車は虎杖に似ていた】

さて、ここからは166話について触れていこうと思います。

日車はあの裁判までは「おかしいこと」を解決させようとしていました。人間も正義の女神も眼をそむける中、日車だけは眼を開けようとしていました。しかしその過程で彼は人間の醜さを見てしまった。そしておそらくあの裁判によって目を背けてしまった。

彼は心のどこかで信じていたのでしょう。

自分のルールを信じ、そこに背かず正しく生きればいつかどこかで報われる「正しさ」が無意味なはずがないのだと。

だから自分を犠牲にできた。

 

しかしそうは限らない。

「正しく生きるより賢く生きろ」なんて言葉があるように、虎杖が「正しい死」を追い求めて身を粉にしていても、身に余る罪が不条理に積み重なっていくように、正しく生きたとしても報われるなんて保証はない

正しく生きることは傷つくことに等しい。

騙され、出し抜かれ、傷つき、損をする

だがそんな闇を進んでもその先には何もない

そこを超えても何にも成れないし、その先に世界を変える宝箱が落ちているわけでもない。あるのは”この先には何かあるかもしれない”と夢を見せてくれる眩しい虚無だけだ。

 

でもだからこそ、そこに意味が生まれる

人は皆、弱く醜い

他の生物とは違い、嘘をつく。

弱い自分を守るために。

 

だから人間はルールを作った。

法律を作った。

「わたしはアナタを殺しません

だからアナタも私をころさないで」

そう願いながら皆で一斉に自分を縛った

 

弱いから、醜いから

人間は優しさのようなものを持てた。

尊いものを獲得した。

他人に優しくなれた。

 

だが日車はあの日それを否定した。

人間は弱く醜い。

いかにルールを作ろうと抜け道を作り悪用する人間は存在する。そして優しい人間は殺される。だったら完璧なルールがあれば良い。リンゴが木から落ちるように、因果のように悪人が裁かれれば優しい人間は救われる。優しさに、正しさに意味は無いのだから完璧なルールで守らなければいけない。

だから過程で生まれる多少の「おかしいこと」には目を閉じた。

 

虎杖はどうだろうか。

人を救うために指を食べたら死刑判決を受け、友人を失い、はてには渋谷を更地にした罪を背負い、いくらでも言い訳できる中、それでも彼は自らの罪に向き合った「正しい」死を追い求めた。

 

醜い人間社会において、嘘をつかず、正しさを信じて暗闇に向き合った虎杖のその行為は「弱さ」だと言えるのだろう。

 

その「弱さ」

日車が目を背けたものだ

 

かつて己の中にあり

守ろうとしたものだ

 

だから日車は虎杖を殺せなかった

どんなに辛くても正しく、高潔であろうとする曇りなき眼を切ることは出来なかった

 

日車は虎杖と似て”いた”のだ

 

 

 

 

【余談(感想)】

伊達政宗

仙台藩の初代藩主の戦国武将で「独眼流」として有名な伊達政宗さんが辞世(最後)の句として読んだことで有名なものが、この記事のタイトルにもなっている「曇りなき心の月を先立てて浮世の闇を照らしてぞ行く」

「何もない真っ暗闇の中、月の明かりを頼りに歩くように、先の見えない戦国の世を自分が信じる通り歩いてきた人生だったな」的な意味らしい。

虎杖や日車が先の見えない暗闇の中でも自分のルールを信じて傷つきながら歩いていこうとしているのにリンクするなと思ってタイトルにしました(+ネタバレ強すぎるので検索避けも兼ねてる)

日車はその先に何もないと言っていたし、大江が悪か正義か分からないように、正義なんてどこにあるかは分からないけど、虎杖には救われて欲しいなと思う。

 

≪ジャッジマン≫

日車の式神であるジャッジマン、多分法の女神が持っている天秤と刃が元になっていると思うんですけど、ジャッジマンは天秤でしかなくてなんでだろう?と思っていたら日車が刃を握ってそこで回収か~~~~!!ってテンションが上がった。

ちなみに法の女神が刃と天秤を持っているのは、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、法とそれを執行する力は揃ってこそ意味があるということを表しているからだそうです。

 

≪結局大江は犯人なのか≫

前述した通り、今の所は大江が黒か白かは分からないわけで、結局大江は人を殺したのかどうかというのが疑問として残る。

日車が166話で殺した2人はスーツを着ていたから、多分検察官と裁判官なはず(検察官だけ汚職しても有罪にはできないだろうし、裁判官だけ汚職する意味が分からない)

でもかといって大江が無罪になりましたチャンチャン。ならここまでこじらせてない気がするので、結局大江関係で何か起こっていそうな気がする。

そう考えると、裁判官と検察官を領域にいれて裁判していたら外で自棄になった大江が日車のパートナー弁護士を殺していた(自分が救った人間が将来人を殺したらどうするの回収)。とか面白そうだなと思う。

「結局大江が犯人かどうかは分からんけど、日車が救おうとした人間は人を殺しましたよ」

とか

「大江を救ったけど犯人だし、これからも犯罪を犯すよ」

だと凄く面白そう。

 

大江も術師だったとかも面白いかも。コンビニの映像は式神を映していただけとか。その場合なんで式神に殺させんかったん?となるが

 

≪なぜ10”2”点になったのか≫

日車の得点は102点です。

そして死滅回游総則の第4項によると「泳者は他泳者の生命を絶つことで点を得る」らしく、5項によると「点とは管理者によって泳者の生命に懸けられた価値を指し、原則術師5点、非術師1点とする」と書いてあります。

つまり日車が獲得した「102点」「5点である術師20人と1点である非術師2人、計22人を殺した」あるいは「原則〇点とあるので例外的に6点や2点のような人が居て、それを殺したので端数が出た」結果なはずです。

 

ならば3つ考えなければいけないことがあります。

1つ目。泳者は他泳者を殺さないと点を得れないということは、日車が殺したかもしれない2人の非術師は「泳者」であるはずということ。「非泳者」を殺しても点数は得られないはずだから

つまり、非術師を手ごまにして得点を稼ごうとしている泳者がいる可能性がある。そしてそれはおそらく今、日車がいる東京第1コロニーにいると考えられる。そうなってくると虎杖と同郷の甘井とかが怪しくなってくる。

甘井の髪の毛の色?だか帽子だか分からないやつ、「キッパ(キッパー)」と呼ばれる帽子だと仮定すると、ユダヤ教の男性が主に被るもので、それを被って頭上に神がいることを強く意識するらしい。

ユダヤというと金貸しというイメージがあるし、甘井は実は非術師でありながら何かを貸す能力によってその見返りとして隷属を強制されて、死滅回游への参加を強いられているのかもしれない。

そうなるとレシートを強調している不退転の男、レジィが怪しい。

レジィの何らかの能力の対象に甘井はなっており、だから帽子をかぶっている(綺羅羅のラブランデヴーでいう所の星マークのような役割をキッパが担っている)。そしてそんなような人間が東京第1コロニーには複数いて、それを日車は殺したから2点という端数が生まれたとするとしっくりくる。

問題はなんのためにそんなことをしているかだが、例えば「Aが術式でBを操りCを殺した」あるいは「Aが術式で操ったBがCに殺された」とき、実際に相手を殺したBやC以外に、Aにも点数が入るのだとすれば弱者であろうと強制的に死滅回游に連れてくる意味はある(簡単に言うと、カラスも泳者になれるとして、冥冥さんが黒鳥操術によって泳者であるカラスを操り、誰かを殺したとき、得点はカラスに入るのか、冥冥さんに入るのか、両方に入るのかみたいな話)

 

 

2つ目。166話で殺されていた2人が端数の2点なのかどうかということ。

あの2人が端数の2点だとすると、あの2人は死滅回游に参加していることになる。

なぜか。考え易いのは羂索の仕込みである可能性と1つ目でも話したように泳者である呪術師の手ごまとして参加を強制された可能性。

羂索の仕込みならこれを1,000人分やらないといけないわけで、そうした場合羂索の手下の人材が豊富すぎるのでなさそう。後者の可能性はもう書いたので割愛する。

 

 

3つ目。日車が殺したかもしれない原則の点数からずれた人間はなぜ得点が違うのかということ。

管理者が点数をつけているのだから、例外的な点数をつけられた人間は管理者が顔を知っている人間だと考えるのが妥当でしょう。管理者についてはまだ不明ですが、羂索が管理者権限を渡しているのだからおそらく羂索の知り合いか顔見知り。ならば羂索によって強制的に泳者にされた人間たちを管理者が知っていてもおかしくありません

つまり鹿紫雲や虎杖、日車に津美紀のような者達につけられた点数が他泳者より高い可能性は高いと思われます。

強さによって点数が変動する可能性受肉しているから点数アップの可能性も無くはないと思いますが、原則5点ということは特例に高い点数の保持者がいたとしてもその数は少ないはずです。それほどの精鋭が呪術を覚えて12日の日車に負けたとなれば展開的に期待外れとしか言いようが無いです(虎杖もピンチだったが虎杖は領域の中和ができず、罪も認めてしまっていたので少し相性が悪い)

 

 

≪虎杖の眼と大江たちの眼≫

自分は本誌を紙で買っていて、紙のジャンプは印刷が悪く断言できないですが、大江が日車を責めた「眼」は虎杖が日車を殴ろうとした「眼」に比べて若干濁っている(ように見えた)

多分肉眼でも断言できないから、写真に撮ってここに載せても分からないので、載せませんが。自分で見比べてみて欲しい。

虎杖は「曇りなき眼」だったのかもしれない

 

≪日車は何を求めていたか≫

ここまで書いたことが前提になるが、日車さんは「大江」という特定の個人を救いたかったのではないとか、正しさを求めていたと書いたけど、人に”全く”興味が無かったり、正しさの果てに物凄い名誉だったり、力が欲しいと思っていたわけではないと思う。

そうであれば虎杖にみんな死ぬと言われて一瞬考えないし、出世に興味が無いわけが無い。あくまで日車は「おかしい」が嫌で、自分の譲れないものに嘘をつきたくなかったからそのためにどうするかを悩んでいたのかなと思う。

譲れないものを確実に守るために、自分の限界を見定めて、出来る範囲以外を切り捨てて、そこから目を逸らす恵になるのか、全て背負おうとする虎杖になるのか。みたいな。そういう意味では恵は虎杖と出会う前の日車に成り得る危うさがあるのかなと思ってしまう。

虎杖と恵が初期位置逆だったら日車は改心することなかっただろうなと思う。むしろここから血まみれで、でも何もなかったかのように虎杖と日車がいるあそこに恵が入ってくるのかもしれない。しらんけど。

 

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