amedotのブログ

呪術廻戦の考察を主に書きます

【嘘食い】本当の噓つきは言の葉無くとも噓をつく

嘘喰いの考察記事です。

今更?感はありますが、久しぶりに読み返したら気づいたので…

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必要最低限に抑えてはいますが

ラビリンス編のネタバレを含みます。

(単行本9巻~14巻)

未読の方はお気を付けください。

 

【目次】

 

 

【ラビリンス】

嘘食いは「ラビリンス」というゲームの中で「手で顔に触れる」ことで盗聴を隠し、その情報を最大限活かし、勝ってみせた。

だが、「手で顔に触れる」という行為は本当に違和感がないものなのだろうか。急に顔に手をあてはじめれば何かをやっているのか?そう考える人間は少なくないはず。

しかし読んだことのある者になら理解していただけると思うが、あのとき、あの場所において違和感はほぼ存在せず、「そんなことをしていたのか!」と門倉立会人と一緒に驚いたはずだ。

なぜ、私たちはその行動に

違和感を抱けなかったのだろうか。

 

【嘘は「つく」もの】

人間は集中している事以外はかなり認識が適当な生き物だと言われている。「見ているもの」しか見えないのだ。

だから私は、嘘喰いと天真の高度な化かし合い、出し抜き合いについて行くのに必死でそこまで意識を回すことができなかった。だから「手で顔に触れる」という違和感に気付くことができなかった。そう、つい最近まで考えていた。

だが久しぶりにラビリンス編を読み返し

そうではない可能性に気付いた。

嘘喰いはユッキーと戦っていた時から既に少しずつ、読者と門倉立会人に「楔」を打ち込んでいたのではないだろうか。

 

【ケイソク】

 

以下に行われた賭郎勝負にて嘘食いとその対戦相手が顔に触れた回数と勝負終了にかかった話数をまとめた(ラビリンス編まで)

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(※髪の毛に触れる行為はカウントせず、あくまで顔へのタッチのみを計測。触れているか曖昧な箇所は極力はぶく。表紙やおまけはカウントしない。

頬杖は座っていないとできない行為であり、座らない勝負もあるので0.5回として計測。

止血する、カリ梅を食べる等の必須な行動によるものはカウントしていない。

顔に触れた「コマ数」を計測

数え間違っていたら申し訳ない)

 

見てもらうと分かる通り、唯一座っているギャンブルということを考慮しても尚ユッキー戦は顔に触れ過ぎている。

しかも実は嘘喰いVS天真は137話の嘘喰いと天真のMP勝負(1点を7回)と144話の嘘喰いと箕輪のMP勝負時(1点を4回)を除けば、逆に極端に少なすぎる。

 

つまり読者と門倉立会人は

ユッキー戦で多く顔に触れる姿を見て

「違和感」を打ち消す「楔」を打たれ

天真戦では逆に極端に顔に触れることを減らされ、意識を別方向に向けられていたのだ。

 

真の嘘つきである

嘘喰い

いや

迫稔雄先生

「言葉」なんて無くとも

嘘がつけてしまうのだ。

【呪術廻戦】捨てられた「命の形」と構築された「刃」

148話と149話と9巻からパパ黒について考察しました。

ネタバレ範囲は1~15巻に加え148,149話の重大なものを含みます。お気を付けください。

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全く関係ないけどTHE BACK HORNさんの「刃」好きです。ジョジョMADがとてもgood

www.youtube.com

【MAD】刃 × 亜空の瘴気ヴァニラ・アイス - YouTube

 

【目次】

 

【真希の刃】

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呪術廻戦149話/芥見下々

149話にて真依は命をもって刃を作り出した

全てを破壊するための「刃」

その刃には白く

さらりとした毛が生えていた。

 

これに見覚えがないだろうか?

 

 

 

【似た刃】

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呪術廻戦9巻/芥見下々

そう、9巻でパパ黒が持っていた「刃」

酷似しているのだ。

 

【失ったもの同士】

そして149話のこのシーンに注目して欲しい

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呪術廻戦149話/芥見下々

覚醒した真希の前に立ち、恐怖した扇が

過去のそれと真希を重ね見ている

だがパパ黒は何故怒っているのだろうか

いつの怒りに扇は怯えているのだろうか

 

【大切な人】

パパ黒は恵を捨ててしまった。死ぬ間際に心配していたとはいえ、それは変えることのできない事実だ。

だが奥さんは分からない。

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呪術廻戦9巻/芥見下々

奥さんを守るために、弱者に居場所のない禪院家を飛び出し、名前を捨てたのだとすれば、パパ黒にとってそれ程に大切な人だったと考えられる。だからこそ逆にそれを失い、自暴自棄になり、忘れ形見である恵を捨てたのかもしれない。

 

自分も

大切なものも

「失った」から「捨てた」のだ

 

ところで、禪院家を出ることは簡単なことなのだろうか。

禪院家から自由に出れるのだとすれば、才能のない者は命の危険がある呪術師なんてやめて、一般職にでもつけば良いはずだ。自立に際し金銭的に困るのであれば自衛隊等にでも入れば良い。才能のない者にとって地獄ともいえる禪院家よりはよっぽど生きるのは簡単なはずだ。

ならば何故しない?

禪院家が許さないからだろう。

家から出すということは「血」が外に漏れるということだ。その人間が一般人と子を成してしまったら?その子供が恵のように類まれなる素質を持ってしまったら?

家を乗っ取られる事だってあり得るだろう。

「分家」「家出」は意味が違うのだ。

 

ならば何故

「禪院甚爾」「伏黒甚爾」

なり得たのだろうか?

 

簡単な話だ。

その力を以て襲撃者たちを全て倒せば良い

  

そして襲撃者が狙うのはなんだろうか。

若き五条を不意打ちとはいえ窮地まで追い込んだパパ黒を正面から倒すことは非常に難しいだろう。なら、用意すれば良い。人質を。

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呪術廻戦148話/芥見下々

丁度、今回の扇のように。

瀕死の奥さんを横に置き、そして戦う。

イメージの中のパパ黒が素手なのは、まだ呪術師殺しをやっておらず、金がなく武器が買えなかったのではなく、持たないように言われたのかもしれない。

 

【近親者】

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呪術廻戦9巻/芥見下々

パパ黒の奥さんは非常に禪院家にありがちな顔をしている。

顔が似る理由は「偶然」「必然」

世の中には3人、同じ顔の人間がいると言われる。これが「偶然」によるもの。

 

amedot.hatenablog.com

次は「血」の近さ。

近親婚を繰り返したハプスブルク家では似た特徴をもった人間が多かったらしい。これが「必然」だ。

そして禪院家は親が違おうとも似た顔が多く存在する。よって禪院家は「近親婚(近親相姦)」を行っているとしてみよう。そうすればパパ黒の奥さんの顔のパーツの酷似には当然意味があるはずだ。

 

つまり奥さんは禪院家(の分家)の可能性があり

「構築術式」を持っていた可能性がある。

 

そう考えると

2つの「刃」が似ている事

それらを使う「人間」が似ている事

 

これらには意味があり、

禪院家に降りかかる「呪い」

そう呼べるのかもしれない。

 

禪院家の力を「呪い」と呼ぶのなら

捨てた者たちだけが不幸となるのは

不自然なのだから。


amedot.hatenablog.com

 

 

【呪術廻戦】禪院真希と禪院真依は”一人前”「 構築術式と十種神宝」

これは過去の私のツイートを深掘りしブログ化させたものです。

 

 

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↓の記事の逆を書くことで全ての可能性にBetしようという魂胆です。

amedot.hatenablog.com

 

※ネタバレ範囲は1~15巻です。

 

【目次】

 【禪院家の本質】

以前の記事にて相伝の術式」とは「お家創始者の術式の本質を継いだ術式」であると考察した。これが正しいものとして今回は話を進めたいと思う。

amedot.hatenablog.com

 

お家創始者の術式の本質を継いだ術式が相伝の術式」であるのだとすれば禪院家の「本質」とはなんだろうか。

 

現在相伝の術式として確定しているのは

影で式神「創る」術式

『十種影法術』

 

フレームを「創って」

そこに未来の行動を「創り」

「実行(具現化)する」術式

『投射呪法』

 

これらだ。

ここからわかる通り、禪院家の相伝の術式」とは何かを「創る」本質を持った術式なのだろう。では何故禪院家は「創る」術式を後世に伝えたがっているのだろうか。

 

【十種影法術】

伏黒恵の術式である「十種影法術」

非常に強い術式であり

過去には五条と同じ六眼と無下限の抱き合わせを殺したとまで言われている。

だが不自然ではないだろうか。

無下限とは扱いが難しいため六眼あってこそ、その本領を発揮するのだ。そしてそれらが揃うのは数百年単位で待つ必要があるとされている。そんな組み合わせ故の強さに並ぶ術式が組み合わせ故の力ではないと考えにくい。

 

「十種影法術」とは

「十種神宝」(八握剣の元ネタ)

「影法術」組み合わせ術式

だったのではないだろうか。

 

ならば他の術式と組み合わされば

どうなるのだろうか?

 

【構築術式と影法術】

十種影法術は確かに強い術式ではある

現在判明している中で唯一、五条悟を殺しうる術式と言っても差し支えはないだろう。だが所詮術者は人間に過ぎない。寿命があれば老化もする。次の世代に渡るかすら確実ではない。つまりどこまでいっても「一代限りの繁栄」しかもたらさない。なぜなら十種影法術で生み出したものは術式解除と共に消えてしまうからだ。

だが世界には術式を解除しても生み出したものは残り続ける術式が存在する。「構築術式」だ。

 

だったら「十種構築術式(仮)」

乙骨憂太のような桁外れの呪力

その両方を備えた人間が生まれるまで

「創る」術式を継ぎ続けよう。

そう考えるのは自然なはずだ。

 

例えば構築術式によって「八握剣」が具現化されればそれは後世に残り続け、家の繁栄は術者の死後も保証されるだろう。

 

「構築術式」はむしろ当たりの術式なのだ。

 

【禪院真依】

ここまでは「構築術式」の価値を説明した。

そして「構築術式」を現在作中で使用する人間は禪院真依しかいない。(乙骨も0巻でメガホンを具現化していたが、構築術式とは限らないので省く)

 

「構築術式」が作劇的価値が高いのならば

禪院真依も同様に高くても不自然ではないはず。

だが今更落ちこぼれに見えて実は強かったんですよ。なんて言われてもジャンプ漫画の主人公じゃあるまいし受け入れられない。

なら価値を高めるには「境遇」を特殊にすれば良い

 

例えば過去に出てきた双子のジンクス

双子は凶兆であるというものだ。

これがジンクスじゃなかったとしたら?

論理的に説明できる現象ならばどうだろうか。

 

【一人前】

真希と真依は知っての通り両方落ちこぼれだ

真希には呪術的才能が一般人程に無く

真依には中途半端な呪術的才能しかない。

まるで「2人で才能を分けた」かのようだ。

 

双子とは呪術的に見れば「2人」が生まれてくるのではなく、「1人」が分かれてできるものだとすればどうだろう。

1の才能を、魂を2人で分けるのだ

 

真希は本来得るはずだった術式や呪術的才能を失った代わりに「天与呪縛」を得たのではなく、「1の才能」に含まれた術式が真依に行ったため、真依は「失った」扱いになり、あの膂力を得たのではないだろうか。

 

つまり双子=凶兆となっているのは根拠の薄いただのジンクスではなく、本来人間は「1の才能」「1の人間」が独占するのに対し、双子は「1の才能」「2の人間で分け合う」ためからなのではないだろうか。

「1の才能」0.5ずつ分ければ文字通り半人前の術師が2人生まれ、「1の才能」0.7と0.3ずつ分ければ丁度今の真希と真依のように「中途半端な術師」と「中途半端な天与呪縛」が生まれてしまうのではないだろうか。

 

真希と真依は2人で”一人前”だったのだ。

 

真希と真依がそれぞれ一人前になるには何をすれば良いのだろうか…