「双子」は「凶兆」
そう呼ばれる理由について考察しました
ネタバレ範囲は148、149話と単行本です。
お気を付けください。
前半は「凶兆たる双子」について
後半は「呪術」と「祝福」と「祟り」
を考察しています。
禪院家の「呪い」とは
「呪術」とは
「祝福」なのでしょうか?
「凶兆」とは
「祟り」なのでしょうか。
【目次】
【凶兆たる双子】
《双子は凶兆》
双子は凶兆と言われている。
だがなぜ凶兆なのだろうか。
ここに仮定を立てた。
仮定
・双子は弱いから凶兆である
(扇が149話まで殺そうとしなかったということは強くなる可能性があると思われる)
・双子が生まれた代は不幸になるので凶兆である
(同じく殺そうとしなかったということは不幸にならない可能性があると思われる)
この2つが考えられる。
まずは双子は弱いから凶兆説について深く考える。
《第1の可能性》
149話で真依によって双子は呪術的に「同一人物」であると説明された。だから弱いのだと。
だが同一人物と言っても色々な種類がある。
「真人タイプ」と「覆面男タイプ」だ。
渋谷事変で真人は元は1つの魂を分けることで、肉体を増やした。これは両方「真人」であると言えるだろう。つまり同一人物と言えるはずだ。
次に過去編で出てきた覆面男
彼は自分を複製させることができた。
これらの違いは「魂を分割した」か
「魂を複製した」かだ。
双子はどちらなのだろうか。
《魂の分割》
この理論は以前にも記事に書いたがつまりは普通の人間が1の魂を1人の人間で占領するのに対し、双子は1の魂を2人で分け合って生まれてしまう。そして真人の分身の術式や呪力が弱体化していたように、弱い魂をもって生まれるため弱くなる。
0.5ずつ魂を持ったとしたら半人前の呪術師が2人。0.7と0.3ずつ魂を持ったとしたら中途半端な術師と中途半端な天与呪縛者が生まれてしまうということだ。そして魂が元は同じものだった故に繋がりが強いのだ。
これが「魂の分割説」
図で表すとこんな感じだ↓
《複製説》
文字通り「同一人物」という説だ。
図で表すとこうなる↓
つまり真希と真依は本来同じ素質(構築術式)を持って生まれるはずだったが、真希はその術式を捨てることで天与者である真希と真依という歪なコンビが生まれてしまったということになる。
これ以上考察しても面白くならなさそうなので詳しく気になる方はTwitterで考察しているのでそちらを見て欲しい。(引用RTも使いつつツリーにしている)
双子云々の話、勘違いしてたかもしれない。
— あめどっと (@amedot_r) 2021年5月25日
【呪術と祝福と祟り】
《異能力》
ここ十数年の少年漫画、特にバトル漫画の主人公は大体が「異能力」を持っている。それはあるときは「気」、またあるときは「悪魔の実」、「個性」という名前で呼ばれ、その能力、強さを磨きあげることよって未来を勝ち取る。それが少年漫画のテンプレ的な流れだ。そしてそのルールは週刊少年ジャンプで連載している「呪術廻戦」にもあてはまる。「呪術」という異能力を使い、彼らは自分が思い描く未来を手繰り寄せる。
だが「呪術」は「気」や「悪魔の実」のような、望んだ未来を手繰り寄せるだけの「異能力」とは少し毛色が違う。夜蛾学長が「呪術師に悔いのない死はない」と言うようにそれを扱う者は基本的に不幸になって死んでいく。しかも「呪術師」になる理由は七海が両方クソと言ったように「家系」や「家計」、「人を助けたい」等の呪術師を選ぶ必要性の無い消極的なものが根幹にあることが多い。なのにも関わらず時に命を天秤にかけ、任務を優先しなければならない。そしてそれはその秘匿性から世間に認められることは現状皆無と言っていい。東堂というワクワクすることがやりたいという冒険心から呪術師を選ぶ者もいるが、きわめて例外的であるし、術式を失った彼はそんな場面に合うことは減ってしまうことだろう。
もちろん「呪詛師」もこの不幸からは逃れることが出来ない。考えて欲しい。誰もが一度は犯罪を視野に入れてしまったことがあるはずだ。あのおもちゃが欲しい。あいつが憎い。思い通りに動かしたい。壊したい。でも常人は踏みとどまる。否、実現する力が無いだけだ。法や警察という抑止力を倫理観という言葉に変換しているに過ぎない。抑止力が無ければ倫理は薄れてしまうのだ。だがこの抑止力は基本的に「呪術」には働かない。犯罪フリーパス券を持って、周囲には無い強力な力を持って生まれて、今と同じ倫理観を保てる人間が何割いるだろうか。善悪は環境によって容易く変化してしまうのだ。そういった意味で「呪詛師」も同様に「呪術」によって不幸になっていると言えるだろう。
そういった特徴を持つ「呪術」はどちらかといえば「僕のヒーローアカデミア」の「個性」に近い。「個性」は「遺伝」であれ「個性による継承」であれ徐々に強力なものへと変化していく。そしていつか人間という器の限界点を超える。そのときどうなるかは主人公の苦悩を見れば想像がつく。そして現状それを避ける方法は全人類が「個性」を失うことしかない。つまりヒロアカにおける「異能力」は未来を切り開く手段という「幸運」であると同時に人類には必要なかった「不幸」なのだ。
《現実の呪術と祝福と祟り》
現実社会における
「呪術」と「祝福」と「祟り」
これらの違いをご存知だろうか?
「呪術」とは非超常的存在である人間や霊が他者に不幸を与える行為のことを指し、「祝福」とは超常的存在である神等が他者に幸福を与える行為、またはその幸福そのもののことを指し、「祟り」とは超常的存在による不幸を与える行為、またはその不幸そのものを指す。
つまり
霊(人間)→ 人間 は呪術(呪詛)
神 → 人間 は祝福or祟り
ということです。
ここからは現実での「呪術」を「呪術」
呪術廻戦の「異能力」としての
「呪術」を『呪術』とします。
(ここからややこしくなるのでこれらの定義をちゃんと頭に入れておいてください)
《第2の可能性》
つまり
刃を持っている人間は両者
完全なフィジカルギフター。
所持している刃はそっくり。
そして同様に禪院家に牙をむいている。
禪院家に「不幸」が及んでいるのだ。
これが禪院家が『呪術』を継いできた
「祟り」による「代償」で
双子は不幸の兆しだったのではないか。
故に「双子は凶兆」
だとすれば他の家が払う「代償」とは
どんなものになるのだろうか。