amedotのブログ

呪術廻戦の考察を主に書きます

【タコピーの原罪】『ハッピー力』はご都合後付けか。孤独は原罪か

ハッピーフルーツとは「茄子」

ハッピー花は「どくだみ」である。

聖書の中、マルコによる福音書8章34節で

エスはこう言った。

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」

 

タコピーの原罪における

「ハッピー」とは

「幸せ」とは

なんだろうか。

考察する。

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※最終話(16話)までの内容を含みます。

 

 

【目次】

 

【タコピーの原罪と聖書】

タイトルにもなっている「原罪」。

これは聖書の言葉でもある。

だからこの作品と聖書には深い関係があると断言することは出来ないが、関係が無いとも言い切れない。そこで今回は「タコピーの原罪」はタイザン5先生が「聖書」を意識して書いたものであると仮定して考察したいと思う。

 

 

【茄子とどくだみ】

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タコピーの原罪 上/タイザン5

1話で登場した「ハッピーフルーツ」は見た目が茄子と非常に似ている。茄子の花言葉には「希望」や「優美」がある。まさに「ハッピー(幸せ)」なフルーツである。

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タコピーの原罪 上/タイザン5

しかし2話で登場した「ハッピー花」である「どくだみ」花言葉は、繁殖力の強さから「野生」、繁殖力が強く至る所で見ることができ、どこのどくだみも同じように白く、どくだみを見ると思い出の場所や時間を想起できるため「白い追憶」、別名十薬と呼ばれるほどに効能があり、救ってくれるため「自己犠牲」がある。しかし一見どれをとっても「ハッピー」と結び付くとは思えない。

ではハッピー星人の言う

「ハッピー」とは何だろうか。

 

【ハッピー星人の掟】

ハッピー星人の言う「ハッピー」の意味を知るには彼らが遵守する「掟」について考える必要がある。

 

ハッピー星人には2つ掟が存在する

 

1つ目の掟は「ハッピー道具の掟」

『決して異星人に道具を委ねてはならぬ』

 

2つ目の掟は「ハッピー星の最も大切な掟」

内容は明記されていない。

 

どちらかの掟を守ることがどちらかの掟を犯していれば全ての掟を守ることは不可能になる。つまりこれらの掟が矛盾している可能性は限りなく低い。それどころか似たような目的、意図で作られた掟同士であると考えた方が自然だ。

では、掟に共通する「目的」は何か。

 

ハッピー星人が「宇宙にハッピーを広める存在」であることを考慮すれば、その目的は他者を「ハッピー」にすることだろう。ということはこれらの掟を破ることはハッピー星人にとっては「ハッピーではない」ことになる。

 

「掟」を守ることが

ハッピー星人にとって「ハッピー」を守ること

であるはずだ。

 

 

【ハッピー星人の罰】

2つ目の掟を破ったタコピーに対しタコピーの母親は「罰」を与えようとした。

「全ての記憶の抹消」

「ハッピー星からの追放」

これらによってタコピーの母親はタコピーを「生まれたままのハッピーな姿」にしようとした。

ということは逆に言えばハッピー星人にとって「生まれたままの姿」は確実に「ハッピー」なのだ。

 

つまり、「掟」の目的

「生まれたままの姿」で持っている物

これらが我々にハッピー星人にとっての

「ハッピー」を教えてくれることになる。

 

 

【聖書にとっての罪】

現実の人間が「ハッピー」になるために作った太古の発明。それは「宗教」だろう。そしてタイトルにもなっている「原罪」とは一般的に言えば聖書の言葉。

ハッピー星人における「ハッピー」について考える前に聖書における「ハッピー」を考えてみよう。

そのために聖書における原罪について簡単に説明する。

 

『太古の昔、神は世界を作った。

次に人類の先祖「アダム(男)」を作った。

そして神は「イブ(女)」を作った。

アダムが1人にならないように。

神は2人を神は楽園に送った。

楽園には美味しい植物と「禁断の実」。

神は禁断の実を食べることを禁じた。

しかし2人は蛇にそそのかされ実を食した。

これを知った神は罰を与え楽園から追放した。

 

これが「原罪」

アダムとイブの子孫である我々人類は例外(キリスト)を除き、この「原罪」を生まれながらに背負っているとされている。』

 

故に教徒は罪が赦されることを願う。

 

 

前後、詳細を省いたがこれが聖書における「原罪が刻まれた経緯の話」

つまり「原罪」とは我々人類が「罪を犯すようになった原因の罪」とも言い換えられる。(分かりやすくまりなちゃんで例えるなら、いじめが「罪」で家庭環境が「原罪」である)

 

※「結局原罪とは具体的に言えば何なのか」という点は宗派や個々の解釈次第となっている(そもそも具体視を禁じていたりもするらしい)。

 

 

では仮にタコピーの原罪が聖書を意識しているとして、タコピーの「原罪」とはなんだろうか。

 

【タコピーの原罪】

タコピーはハッピー星人である。

ハッピー星人が「ハッピーになる掟」を遵守し、違反した物を外に追いやっているのならばハッピー星人は人間で言う所の「原罪」を背負っていない種族であると考えられる。

つまりタコピーがハッピー星を追いやられた原因の罪、「ハッピー星人の最も大切な掟」を破ったことがタコピーにおける「原罪」となると考えられる。

では「ハッピー星人の最も大切な掟」とは何か。

 

13話、タコピーの母が言うには

「1人でここに来た」ことが掟破りである

16話、タコピーが言うには

一番大切なことは「おはなし」。

 

一見これらは関係ないように見える。

しかし聖書を通して見れば理解できる。

 

神は独りぼっちのアダムのためにイブを作り出した。だからこそ2人は罪を犯し追放された後の世界でも生き抜き、我々まで脈々と命を紡ぐことができた。仮に世界にアダムしか居なかったのなら、罪を犯し罰を与えられた時点で死んでいたはずだ。

 

聖書、つまり「おはなし(物語)」は辛く苦しい人間にとって救いとなっている。宗教は保証してくれる。自分の生き方が正しいはずであると。

タコピーがハッピー力を失い、しずかちゃんのノートの落書きやただの記憶、つまりフィクション(おはなし)だけになって、しずかちゃんとまりなちゃんを救ったように。

 

おはなしとは会話だけを指す言葉ではない。

小説や漫画、絵、記憶のような物語も

会話、対話も全て「おはなし」だ。

 

「おはなし」とは誰かのそばに居ることだ。

誰かがそばに居るから私たちは「対話」できる。

「物語」は忘れない限りずっとそばに居てくれる。

 

「ハッピー星の掟」とは

「そばにいる」ことだったのだ。

 

ハッピー星人の言う「ハッピー」

『一緒に居ること』であるとするならば

タコピーが「ハッピー力」を失ったことは

「一緒に居る力」を失ったことに等しい。

 

消滅し「おはなし(会話)」が出来なくなった。

だからこそ

タコピーは「おはなし(記憶)」だけになった。

ゆえに

しずかとまりなの「おはなし」の種になった。

「おはなし(対話)」によって2人は救われた。

それがタコピーの原罪という「おはなし」だ。

 

 

【補足】

≪ハッピー花≫

「ハッピー」『そばにいること』だとすれば「どくだみ」がハッピーな理由は明白である。

どくだみの花言葉「白い追憶」だ。

どくだみはどこのどくだみも白い。

だからどこのどくだみを見ても

「思い出のどくだみ」を追憶できる。

ゆえに「白い追憶」

しずかとまりなと東

そして”きみたち”にとって

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タコピーは「赤い追憶」

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そして「白い追憶」に成れたのだろう。

 

≪原罪とは何か≫

ハッピー星人の掟は「そばにいてあげること」であるとすればこれを破ったことが『原罪』なのだろうか?

じゃあそばにいてあげればそれでいいのだろうか?しずかちゃんの母親のように「そばにいただけ」で良いのだろうか?

否。それはそばにいるとは言わない。

タコピーの言うように「おはなし」を大切にするということは誰かの気持ちを想いつつ「そばにいる」ことを大切にすることだろう。

それを子供に簡単に与えられるのが親や友人。

そして周囲の人間で作り出される『環境』

 

誰かが誰かをないがしろにすれば

これは簡単に崩れ行く。

まりなちゃんの両親が彼女を1人にした結果、まりなちゃんがしずかちゃんを虐めたように。

聖書が我々全人類に「原罪」が刻まれていると伝えたのはこのためなのかもしれない。

 

≪生まれたままの姿≫

タコピーの母親が言うように生まれたままの姿がハッピーなのはなぜだろうか。

それは1人で生まれられる者などこの世に存在しないからだ。生まれるときは誰しもが一人ではない。

そして生まれたままの姿で一人で生きられる者も存在しない。

誰もが誰かから生まれ誰かを頼って育つ。

だからハッピーなのだろう。

 

≪魔法≫

この作品に日曜朝の子供向け番組のような完璧な救いはない。16話のまりなちゃんですら頬に傷があることからそれは確かだ。

しずかちゃんの父親は二度と現れないだろうし、もししずかちゃんの元に父親が帰ってきたならそれはつまり2度家族を捨てたということになる。3度目があるかもしれない。

まりなちゃんの親もおそらく離婚したのだろう。一生彼女はビンが怖いのだろう。もう二度とお手本のような親の愛情は受けられないのだろう。

 

 

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タコピーの原罪 上/タイザン5

しずかちゃんは1話で魔法を拒絶していた。

しかし彼女は15話冒頭で星に願っていた。

「星」に願うということは目に見えぬ超人的な力に頼っているという点で「魔法」を願うことに等しい。

何故願ったのか。

親ですら頼ることができなかったからだ。親にも誰にも頼れないから、「1人だったから」もっと大きな何かに頼った。つまり当時の彼女にとって「魔法」「親の代替品」だった。

しかし当然「星」は何も叶えない。

だから魔法を信じなかった。

 

だが彼女は「ハッピーカメラ」という「魔法」のような何かがいじめを解決した瞬間に出合ってしまった。

そうして壊れた。

しかも本当に「魔法」があっても犬一匹すら救われない。パパも帰ってこない。本当に欲しいものは得られなかった。何一つ根本は解決しなかった。

 

しずかちゃんは「原罪」に抗っていた。

いじめや悪辣な家庭環境、辛く苦しい環境にあってなお、見知らぬ他者(タコピー)に優しく「おはなし」できた素晴らしい人間だった。

そんな優しい人間を、人に優しくいられない、寄り添えない「人間の罪」はたった10数話で化物にしてしまった。

 

我々はこれらから何が学べるだろうか。

 

【関連記事】

↓「原罪」は環境である補足

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↓タイザン5先生は何処が凄いのか。

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