どくだみの花言葉は「白い追憶」である。
タコピーの原罪も同様に。
その理由をタイザン5先生の
「作家としての面白さ」と
「タコピーの原罪」の最終回と
「同人政治」から解説します。
※「タコピーの原罪」16話までとタイザン5先生の過去の読み切り「同人政治」の内容を含みます。先に読んでおくことをお勧めします。
【目次】
【あらすじ】
まずはタコピーの原罪についてのおさらいをする。
『タコピーの原罪』はタコピーとしずかちゃんが出会う。
そしてタコピーがしずかちゃんを笑顔にしようと「ハッピー道具」というまるで魔法のような道具を使ったら全てが裏目裏目になり、登場人物が次々と不幸になる漫画。しかしタコピーはただのトリガーに過ぎず、『不幸の原因』ではない。
しずかちゃんが笑顔になれないのは「両親が彼女に愛を注いでいないこと」や、「まりなちゃんに虐められていること」が主な原因で、まりなちゃんがしずかちゃんをいじめるのは「親がまりなちゃんを見ていない」ため「寂しい」からだ。
それが彼女たちが不幸になった原因。
そこにタコピーは関与していない。
タコピーはその怨嗟の連鎖反応を早めてしまっただけであり、タコピーが存在しなかったとしてもいつかは高確率で彼女たちは不幸になっていただろう。
事実「タコピーが2016年に居なかった世界」である「2022年」でもまりなちゃんの親は離婚し、母親はスピリチュアルに傾倒し、彼女は顔と心に傷を負って不幸になっていた。16話の未来ですらまりなちゃんは顔に傷を負っていた。あの彼女が不幸であるかは別として。
これが「タコピーの原罪」のあらすじ。
次にタイザン5先生の過去の読み切りである「同人政治」についてのおさらいをする。
同人政治は森イサムという少し個性的な漫画を描く男が宝島文太に出合い大学の漫画研究部に誘われる話。
宝島はイサムに漫画の描き方を教えていきイサムはどんどんと吸収していく。
しかし「宝島文太」という人間は漫画研究部には存在しなかった。彼は漫画というエンタメによって政治を面白い物へと昇華しようと考え、ある種イサムを利用していた。
宝島の目的は「面白い漫画」を作ることにはなく「社会を変革する面白い漫画」作ることにあった。
これが「同人政治」のあらすじ。
【タコピーの原罪の面白さ】
「タコピーの原罪」の面白さとは何だろうか?
非常に生々しい露悪的な描写、そんな中でも輝く少年少女の健気さ、細かい描写。色々あると思う。
しかし私は「タコピーの原罪」の一番の面白さを挙げるとするなら「意味が何重にも重なっている」ことにあると考えている。
例えば最終回のタコピーのセリフ
「おはなしがハッピーをうむんだっピ」
これは16話だけを考えれば「おはなし(対話)」することで皆は幸せになれるという意味に見える。
もちろんそれは一部正しいと思う。しかし15話までと過去作「同人政治」を読んでから読むと他の意味が見えてくる。
「同人政治」は前述した通り「漫画」を「政治」に組み込むことによって社会を変えようとする話。言い換えるなら「おはなし(漫画)」で社会を「ハッピー」にする話と言える。
そしてタコピーは15話で「ハッピー力」を失ったことで消滅し、しずかちゃんのノートという記録と記憶以外からは消えた。つまりタコピーは「おはなし(物語)」になった。
そのタコピーのおかげでしずかちゃんとまりなちゃんは救われた。おそらくハッピーになった。つまり「おはなし(タコピー)」が彼女たちを「ハッピー」にしたことになる。
そしてタコピーの原罪は「おはなし(漫画)」である。
『おはなし』は「対話」であり、「漫画」であり、「物語」であり、「タコピー」で、「タコピーの原罪」なのだ。
タコピーには他にもこのような「意味を重ねる力」がふんだんに盛り込まれている(詳しくは実際に読んで確かめて欲しい)。
1つの言葉、1つの動きに
いくつもの意味がかかっているのだ。
それのどこが面白いのか、何故面白いのか。
少し無粋ではあるが解説しようと思う。
【月が綺麗ですね】
夏目漱石は弟子が「I Love You」を「我君ヲ愛ス(君を愛している)」と訳したのに対し、日本人はそんなこと言わない。「月が綺麗ですね」と訳せと言ったとされている。
つまりこの話を知らない人からすれば「月が綺麗ですね」はただ風景を誉める言葉だが、この話を知っている人間からすれば「特別な意味」を持つことになる。
更に言えば、過去に誰かから「月が綺麗ですね」と言われた人はその人間との思い出がよぎるだろう。
漫画等で初めて知った人間はそちらが思い起こされるだろう。
これが「意味が重なる」ということだ。
風景を誉めるだけの言葉に知識や歴史、実体験という意味が乗ることで各々の人生を思い出し描かれていること以上の物を感じる。
広く言えば短歌もラップも歌も漫画も小説も映画もオマージュも身内ネタも風刺もブラックジョークもこれが行われることが多い。
だから面白い。
タコピーで例えるならばいじめの描写。
ある人はフィクションとして読むだろう。
しかしある人は実体験を通して読む。
「あのときこうすれば良かったのでは」
「こんなことしなければ良かった」
「こうしていれば…」
と登場人物と自分の過去を重ね読む。
完全に自分と重ねる人間もいるだろう。
仮面ライダーが将来の夢と言う子供のように。
私のような人間は他の意味が無いかを考える。
何故作者はその描写を描いたのか、何故そんな風に描いたのか、「重なった全ての意味」を追い求め考察する。隠された意味、新たな視点に気付き興奮する。それが楽しい。
作者の込めた意味が5個存在すれば
1だけに気付く人間
2だけに気付く人間
5つ気づく人間。
存在しない6を見る人間。
それぞれが違う物語を見る。
だから「重なる」ことは面白い。
【タイザン5先生の本気】
長々と無粋なことを書いてしまったのでここからは考察する人間らしく「重なった意味」全てをできる限り明かして終わりとしたいと思う。
お題は「タコピー」。
まずは以前考察したことについて詳細を省略し要点をまとめる(根拠が気になる方は各自以前の記事を見て欲しい)。
ハッピー星人が言う「ハッピー」は
「一緒に居ること」。
タコピーは「ハッピー力」の喪失、
つまり「一緒に居る力」を失い消滅。
結果ノートの端と”きみたち”の記憶。
「おはなし(絵と記憶)」だけが残った。
タコピーが変化したことで”きみたち”の
「おはなし(対話)」の種に成った。
そしてしずかとまりなは救われた。
まさに「おはなしがハッピーをうむ」
これが以前書いたことである。
ここからは補足。
「同人政治」は前述した通り「おはなし」で社会を変えようと考えた男の物語。
これを踏まえて考えれば「タコピーの原罪」も『ハッピーをうむおはなし』であると言える。
そしてタコピーの原罪も「おはなし」であるとするならば最終回のサブタイトルにもある”きみたち”とは、しずか、まりな、東だけではなく「読者」である我々も含んでいることになる。
次に2話で登場した「ハッピー花」。
地球上の植物で言うと「どくだみ」
どくだみの花言葉は「白い追憶」。
由来はどくだみは生命力が強く至る所で見ることができ、どこのどくだみも白い。つまりどこのどくだみを見ても「思い出のどくだみ」を思い起こすから「白い追憶」。
消滅後のタコピーはしずかのノートの端と記憶にしか存在しない。
カラーで考えるなら「赤い追憶」。
しかしノートの端に描かれたタコピーはおそらく白黒。
つまりタコピーは
「白い追憶」と言える。
「タコピーの原罪」という漫画も白黒。
「どくだみ」の花言葉としてどくだみは効能が高いため、他に「自己犠牲」が挙げられることがある。
タコピーは「ハッピー力の消失」という
「自己犠牲」を行った。
そしてマルコによる福音書8章34節で
イエスはこう言った。
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」
それにキリストは我々の罪を全て背負って死んだとも言われる。
まさに「自己犠牲」
聖書といえばイブはアダムを
「1人にしないため」に作られた。
ハッピー星人の「ハッピー」は
「一緒にいること」。
「原罪」は聖書の言葉だ。
これが私が分かってる範囲。
「タコピー」だけでこんなに意味がかかってる。
タイザン5先生の面白さは
漫画を「追憶」とする「重ねる力」だ。
【関連記事】
↓原罪とは何か
↓「ハッピー力」は何か