※これは呪具の特性から
真人の術式『無為転変』
その力の可能性を考察した記事です。
ネタバレ範囲は0~12巻です。
真人の術式『無為転変』
それは世界を作り変え得る力
=目次=
【呪具】
呪具には色々な製作方法があると思われるが
1つ確定している方法が存在する。
それは呪力を込めて長年使い続けることだ。
つまり長年使い続けることにより
ただの物質が呪力を発生するようになっている
又は呪いそのものになっていると言える。
だがおかしい。
呪力は感情によって生まれる。
生きていないただの物質に感情はないはずだ。
そして東堂のブラフが花御に通じたので
呪霊(少なくとも花御)は生きていて
呪具(遊雲)は生きていないことが分かる。
つまり生きていないのにも関わらず半永久的に
呪力を発生しているのは呪具だけとなる。
ならどうやって呪力を発しているのだろうか。
私は1つの仮説を立てた。
『万物に魂は存在する』 と
【万物に魂は存在する】
「魂」
作中で幾度か使用されている言葉。
そして作中トップクラスの量の謎をもつ。
今回は真人のこの発言に注目する。
喜怒哀楽は魂の代謝によるものらしい。
そして中国では喜怒哀楽怨を「五情」とし
これらを人間の感情としてまとめている。
ならば「怨」。つまり恨むという行為
それは魂の代謝と言えるのではないだろうか。
そして人間の恨み等から呪いは生まれる。
つまり呪力を発する者は魂を有すると言える。
ならば呪具は魂が有するが故に
呪力を獲得できるのではないだろうか。
冥冥の術式から、魂を持った存在でも呪力の上限が
種族によって違うことは想像できる。
では、物質は本来その上限が低いが
呪力を浴び続けることで魂の代謝が変化し
上限が成長しているのではないだろうか。
これもその伏線だったのではないだろうか。
そして生物にのみならず
物質に魂が存在するならば
万物に魂があると言っていいだろう。
【無為転変】
真人の術式である「無為転変」
その能力は魂の形を変えることとなっている。
そこで私は
万物に魂が存在するのだとすれば
彼の能力の最終到達点は
『世界を作り変え得る力』
ではないかと考えた。
彼は手で触れることで魂の形を操作する。
だが領域内においては別。
全てが必中となる領域内では
遠隔で操作することが可能となる。
しかし領域というものには幾つか対処法があり
必殺とは言い難い。
相手の魂の形を変えることしかできない
今の真人の領域なら尚更だ。
だがこの対処法の殆どで領域自体は活きている。
よって他に触れることは可能。
これを使い攻撃をすれば
周囲全ての物質が真人の攻撃と化す。
真人の意のままに。
彼の領域の真骨頂は
入れれば必中になることではなく
入れたもの全てに触れられること
なのではないだろうか。
つまり成長した彼の領域の前では
万物が操作する対象。
神に等しい力。
夏油(?)が狙ったのも頷ける。
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