呪力の核心とは何でしょうか
黒閃によって近づくのは
宿儺が領域展開を
「本物の呪術」と言ったのは
どうしてでしょうか。
仮にこれらに意味があり
全てが繋がっているのなら
「呪力の核心」とは 「変質作用」
ではないでしょうか
ネタバレ範囲は0~16巻です。 特に9巻の重大なネタバレを含みます。
【目次】
【物質から呪具への変質】
呪霊は呪力が無ければ祓えない
物質は呪力を浴び続けることで呪具へと変化する。
そしてパパ黒や禪院真希のような全く呪力を持たず扱えない者でも呪具とその効果を発動させることができる。
つまり本来は呪力を発することはなく呪霊に対して効果をもたないはずのただの物質がとある段階から「呪力を発するようになる」ということだ。 これには3つの可能性が考えられる。
①呪具の呪力は劣化しない
②物質にも魂が存在する。魂は産まれる
③呪力によって物質が変化した
①のように一度込められた呪力が劣化しないのならばただの物質が呪具になってもおかしくはない。六眼を有する五条が術式を使っても呪力切れを起こさないように呪具も呪力切れが起こらないのなら呪力を発する理由が説明できる。
ただし何度も呪力を流さないと物質は呪具にはならない。つまりただの物質は呪力を浴び続けることで五条のように呪力を消費しない存在に変化すると考えられる。 ②は以前記事にした通り、真人が言うには感情は魂の代謝であり、呪力は負の感情によって産まれる。
これらが正しいのなら「呪力は魂の代謝である感情から産まれる」はずであり、本来呪力を生むのに魂は不可欠なはず。ならば呪力を発しているはずの呪具は魂を有していないとおかしい。 なので万物に魂は存在し、呪力を浴びせることで出せる呪力量が徐々に変化して呪具になるのではないだろうか
次に③。非術者の体が呪力によって変質するように物質も呪力によって変質し、その変質効果によってただの物質は呪力を発するようになったのではないだろうか。
これらのうちどれが正しいかは現状判断することは難しい。しかし①も②も③も呪力には「何かを変質させる力が存在する」という点で一致している。 ①は物質を変質させており ②は魂を変質させており ③は事象を変質させているように 呪力には「変質作用」があるのではないだろうか
【変質作用で繋がる点と点】
ここからは呪力には「何かを変質させる力」があるとして考えてみよう。実はそうすると意味があったと考えられる描写がいくつかある。
≪術式は家電≫
五条が言うには呪力は「電気」で術式は「家電」のようなものらしい。つまり呪力は「エネルギー」であり術式は「それの方向性を決める物」とも言えるはずだ。
すると、呪力に「変質作用」があるのだとすれば術式はその方向性、「何を変質させるか」を決めていることになる。
幾つか例を出すと
呪言:言霊に強制力を持たせている
=言霊が変化している
無下限:至る所にある無限を
持ってこれる
=現実を変化させている
十種影法術:影を操る
=影を変化させている
といった風に
≪領域展開≫
そんな変質の方向性を持たせる呪術だが最高峰と呼ばれる技術がある。
そう。「領域展開」
領域展開とは
1.結界を張る(省略可能)
2.生得領域の具現化
3.術式の付与
を行うことで術式の必中化、バフ等を可能にする極致。
だがこれも見方を変えれば「現実」を異なるルールが支配する「異空間」へと「変質」させているとも言えるはず。
呪力に「変質作用」があり、術式には「変質の方向性を決める力」があるのだとすれば、「世界を変質させる技」である領域展開が「本物の呪術」であるのは納得ができる。
≪印相≫
領域展開や無下限の発動時に必要な特殊な手の形。実は「印相(印契)」と呼ばれる元ネタがある。
分かりやすい例で言うと奈良の大仏がしているあの手の形も一種の印相だ。
印相は修行僧が行ったりする。
何故か。
ざっくり言うと
お釈迦様のような偉く強力な存在が「この手の形はこんな意味(力)がある」としている。修行僧はその手の形を模倣することでその意味にあやかることができるのではないか、力を再現できるのではないか。と考えて印相を真似している(自身の思想を表す印相もある。座禅のときに組む印相は力にあやかる印相)
そして実は現実の呪術にも模倣という概念がある。
例えば雨乞いをする際に太鼓をたたいたりするのは雨が降り雷がゴロゴロとなっている状況を「模倣」することで雨という恩恵をあやかろうとしているのだ。
そう考えたとき呪術廻戦における領域が「世界を変質」させているのなら、その展開において印相という超常的力に頼らざる得ないのは自然だろう。
(参考文献:金枝篇 上・下)
≪反転術式≫
以前の記事でも説明したので割愛するが反転術式では与幸吉(メカ丸)を治せないため反転術式には「復元する力」があると考えられる。
そして五条の蒼と赫は真逆の性質を持つので呪力と+エネルギーも同様に真逆の性質を持つと考えられる。
そして「復元」と「変質」は
真逆の性質と言える。
≪無為転変≫
無為転変は魂の形を変質させる力が存在する。しかし七海ほどの呪術師になると無自覚に呪力で魂を保護しているため何度か触れる必要がある。
何故だろうか。
呪術廻戦において、ただ呪力が多いだけで能力の効果が薄まることは現状無い。ブギウギの交換に対しても投射呪法のフリーズに対しても呪力が多いから術式が発揮されません、効果が薄いですということが無いように、無為転変だって十全に発揮できないとおかしい。ましてや仮にも特級である真人の呪力量から繰り出される術式による攻撃を七海が「無意識の保護」程度で数回やり過ごせるのは少し不自然。
だが仮に呪力に「変質作用」があるのなら、真人が無為転変の「変質作用」によって自身の魂の形を維持することができるように、呪力の「変質作用」によって自身の魂の形を維持することが出来るはずだ。
無為転変と呪力の「変質作用」が相殺し合っているのならば呪術師に対する無為転変の威力が低すぎることも説明がつく。
≪呪言は対呪霊技≫
呪言は呪霊に対して強い技であって人間に対しては来ると分かっていればそこまで怖い技ではないらしい。
何故だろうか。
呪言は言霊を術式によって強化して他者に強制する技。他者への強制という点で若干無為転変に似ている。
仮に無為転変のように呪言も魂に作用し変質させているのならば、無為転変に呪力で対抗できるように、耳から脳にかけてを守ることで呪言が魂へと入ってくる経路を防ぎ、変質を妨げられるのも説明できる。
≪術式が刻まれる≫
これも以前の記事で少し書いたが、五条が虎杖に宿儺の術式が刻まれると判断したのは何か根拠があるはずだ。
それが仮に一巻で言っていた「混ざっている」からなら、六眼は呪力を詳細に見ることができる眼なのだから、「呪力が混ざると術式が刻まれる」と考えられる。
そして呪力に何かを変質させる作用があるのなら他者の呪力によって肉体が変質し、他者の術式が刻まれてもおかしくない。
≪成れの果てと特異体質≫
獄門のような術師の「成れの果ての呪物」が「何らかの環境」によって生まれているのだとすれば「何」で成れ果てるのだろうか。
仮に術式のような特定の条件によってのみ成れ果てるのではなく(術式を含めると可能性が無限大すぎるので除外)、成れ果てる条件が術師なら一般的に扱えるものならば、最も考え易いのは「縛り」と「呪力」だろう。
九相図が生命を止め他者に害を与えない代わりに存在を保証したように獄門も呪物に成った可能性はある。
ただし獄門は他者を封印することができる。「害を為す」ことができる。他の縛りによって呪物に成った可能性はあるが少なくとも九相図と同じ縛りで呪物にはなっていないはず。
次に呪力。呪力に「変質作用」が存在するのなら術師が呪物に「成れ果て」たとしてもそうおかしいことではない。
≪黒閃と呪力の核心≫
黒閃によって術師は呪力の核心へと近づく。経験者と未経験者では呪力の理解について天地の差があると言われるほどに。
何故だろうか。
黒閃とは呪力と肉体の誤差が1000万分の1以内のときに発動し「空間が歪み呪力が黒く光る」技術。もちろん呪力は普通は黒く光らない。パンチで空間が歪むことも普通はあり得ない。つまり普通はありえない現象を起こしている。
領域展開と同じく
現実を「変質」させている。
この「変質」を黒閃によって強く経験するから術師は「呪力の核心」に近づくのではないだろうか。
黒閃で理解する
呪力の”味”は
「呪力の核心」は
呪力に存在する
「変質作用」ではないだろうか。
【もしも】
もしも呪力の「変質作用」によって世界や物質、人体までもが変質するのなら
彼女は
奴は
虎杖悠仁は
「あの御方」は
呪力によって変質しているかもしれない