どうやら俺達は”親友”のようだな
呪術廻戦の主人公である虎杖悠仁。
彼の特殊な能力 俗称 「存在しない記憶術式」
その謎に迫る。
※本誌派にはここなんであっちのシーンをもってこなかったんだ?と思う方もいるかもしれませんが、それはただのネタバレ配慮です。なのでこの記事のネタバレ範囲は単行本を買っていれば問題ない範囲に収まっていると思います。
この記事はあくまで推測です。
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【おさらい】
まず核心に触れる前に確認しておくべきことがいくつかある。
ひとつ目は「存在しない記憶術式」はおそらく発動に条件があり、そのひとつは虎杖の出血に触れてしまうことと考えられること
↑過去ブログでその点含め色々考察しています
ふたつ目は虎杖の体術には明確にモデルがあるものがありそれが「躰道」であること
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【躰道】
「躰道」とは沖縄発祥の古武道であり、わかりやすく言うのならばカポエラのようなアクロバティックな武道と言える。
これに似た技を虎杖は作中使用している。
(YouTubeで躰道とか中野哲爾で調べるとこんな感じのかっこいいのが出るので暇ならぜひ見て!!)
だがおかしい。虎杖は少なくともおじいちゃんが見舞いを必要としたときからは部活や学外活動にいそしむ時間なんてなかったはずだ。しかも、この時点では虎杖は五条の訓練を受けていない。(そもそも五条がわざわざ対人間の肉弾戦技術を持っているとは考えにくくい)つまり昔に会得した技術であると考えられる。
じゃあ虎杖と沖縄を結びつけるのは可能性としてはありなのではないか。そう考えた。
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【生邪魔】
生きる邪魔と書いて「生邪魔」(いちじゃま)これは沖縄に伝わる「呪術」だ。
史実の”これ”は生霊が憎悪の対象となるものを苦しめるものであり、生霊は術師本人と同じ姿をし相手に贈り物をする。これを受け取った者は生邪魔にとりつかれ、原因不明の病を発症し、やがて死に至る。
また、生霊を他人にとりつかせる呪法そのものやそれの使用者、その家系を総じて「生邪魔」とよぶ。
…?そこはかとなく「存在しない記憶術式」に似ていないだろうか。何かを受け取ることによって発動する点が特に。だから「存在しない記憶術式=生邪魔」この結論ありきで考察した。
まず生邪魔=存在しない記憶術式とするには3つ矛盾が存在する。
1つ目は呪いの効果が違うこと
だが、これは調べたところ頭痛のような限定された効果も生むことが可能なそうなので解決されたと言える。
2つ目は虎杖に意識がない状態で発動していること
3つめは虎杖に悪意や憎悪がない状態でも発動していることだ。
2つ目と3つ目から考えられるのは虎杖が術式保持者なのではなく被呪者である可能性だ。
もし、生霊を出しているのではなく、取りつかれているだけなのだとすれば、虎杖本人の状況に関係なく生霊が働き、呪いが発動したとしてもなんら不思議はないだろう。
だが、ここでさらに問題が1つ生まれる。なぜ被呪者である虎杖が無事なのか。
虎杖のおじいちゃんは死の間際、虎杖に親について語ろうとした。かっこをつけるために。つまり、親のやったことや存在の話は、死の間際かっこつけるのに不足ないことであったと考えられる。おそらく長らく顔すら見せていない親の話が、だ。
そして生邪魔は母から娘のように女系をたどって伝えられる。
そして生邪魔は生霊を取りつかせる呪いでありあくまで頭痛などの攻撃はそれが悪さした結果によるものだ。
逆に言えば悪意のない術師と生霊から成る生邪魔は呪いではなく祝福と言っても差し支えない産物なのではないだろうか。
つまり例えば、虎杖の母が術師だとすれば虎杖に害がない理由にもなる。
乙骨と里香がそうであったように、なにか価値があった虎杖を守るため親が虎杖にかけた「愛の呪い」、それが「存在しない記憶術式」であり「生邪魔」だったのかもしれない。
だとすれば虎杖の意識が睡眠や気絶で無くなったとしても宿儺にとってかわられないのは生霊によって意識が複数あるからかもしれない