実るほど頭を垂れる稲穂かな
この記事は
13巻の謎と呪力の色から
「廻」と「六眼」について考察した記事です。
ネタバレ範囲は0~13巻です。
※致命的ではない程度に少し本誌範囲のネタバレも含みます(116話)
(宗教知識等述べている個所がありますが、あくまで私が調べた知識であり、間違っている可能性は十分にありますし、そもそも宗教とは解釈が無数に存在します。そのことを念頭に読んでいただければ幸いです。
ですが一応どの情報も複数の情報元があるという裏付けをもとに構成しています。)
=目次=
【13巻の2つの謎】
≪謎①稲穂≫
13巻のこのシーン。
読んで違和感を覚えた方も少なくないと思う。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とは
稲が実れば実る程しなる様から拡大解釈し
できる人ほど低姿勢であるということを表した言葉
だが普通に考えると漏瑚の方が優秀なはず。
性格や狡猾さに強さ
何においても幼さを感じる2人より
漏瑚の方が圧倒的に上に見える。
宿儺の嫌味だった可能性は無くはない。
だが彼が陰湿な言い回しをするだろうか。
不快の一言で済ますのではないだろうか。
本当に漏瑚が生き物として格下だったのでは
ないだろうか。
≪謎②廻る魂≫
もう1つの13巻の謎と言えばこれだろう。
魂は「廻る」
題名にもある「廻」を現在作中で一番説明した文である。
だが同時に意味も分からない。
そこで私はこれが
『輪廻転生』を指していると考えた。
【輪廻転生】
「輪廻転生」聞きなじみはある言葉。
なんとなく良い事だと思っている人が多いのではないだろうか。良い事をすれば生まれ変われるという意味だと。
だが実際は違う。
「輪廻転生」を断ち切るつまり永劫の死こそが
仏教における幸せ。到達点なのだ。
そのために彼らは徳を積んでいる。
(※単純に徳を積むだけでは輪廻転生からの解脱は叶わないです。悟りを52個開くと解脱が可能です。ちなみに地球では今まで1人しか達成したことは無いと言われています。)
そして一概に輪廻転生と言っても皆同じ世界に行けるわけではない。
人間は6つの世界に生まれ変わるとされる。
・地獄道
・餓鬼道
・畜生道
・修羅道
・人間道(人間の住む世界)
・天上道
これら人間の生まれ変わる場所を総称し「六道」と呼び、これは下に行くほど比較的良い世界だと言われている。(どこもそれなりに苦しみは存在し、天上道も入ってすぐは良いが死ぬ前は地獄より16倍苦しいとされている。)
そして生まれ変わる世界が変化する条件。
それは死ぬまでの行為「引業」(「満業」)の重さによる。
簡単に言うと悪いことをするほど駄目な世界に行くということだ。
(引業は生前行った最悪の罪。生まれる世界を決定する。
満業は引罪を除いたすべての罪。生まれ変わった後の地位や才能のようなものを決定する。)
そこでこれを呪術廻戦という作品に当てはめてみよう。
漏瑚の発言が輪廻転生のことを指すのであれば、少なくとも呪霊は輪廻転生していることになる。ならばここから呪術廻戦においての輪廻転生の条件を推測できるはずだ。
まず呪霊の死ぬ条件。
それは呪力により深いダメージを受けること。
次に人間と呪霊の違い。
それは呪力を多く持っていることとなる。
よって呪術廻戦における輪廻転生とは
「呪力」が輪廻転生に深く関係するのでは
という仮説を立てることができる。
そこで思い出してほしいのがこの会話。
術師は呪力で殺される手順を踏まなければ
呪いに転ずることが分かる。
【呪力と引業】
「呪力」=「引業」と仮定してみよう。
術師は呪力という引業を多量に背負って死ぬことにより生まれ変わる先が堕ちて呪いになっているのだとすればどうだろうか。
こう考えたとき必然的に呪霊は人間道より下の世界の住人となる。
このどれかの住人であるはずだ。
そこで順を追ってこれらの世界の説明をしていこうと思う。
≪地獄道≫
地獄道は罪を償う場所。
一般的な地獄と同じと考えてよい。
そして少し地獄道の話からはそれるが
地獄というものが日本で広まったのは平安時代に末法思想(時間と共に偉い人の教えって忘れ去られていくからそれを完璧に守ることって不可能になるよねみたいな思想)が流行ったことに起因すると言われており、それらについてまとめたのが源信。
源信。呪術廻戦においては生きた結界。
獄門疆の疆には境界という意味がある。
つまり獄門疆とは地獄の境であるといえる。
生きて封印のみをする結界と成り果てた源信は史実では地獄についてまとめている。
そして地獄には牛頭と馬頭が門番として存在するとされている。
牛頭。牛の頭。宿儺の領域にある骸骨も牛の頭に見えなくもない。
そして呪霊や数多の呪霊を取り込んだ夏油が使う技。「極ノ番」
これが地獄の獄とのダブルミーニングであるとするならば
地獄の番となる。
この作品には地獄道を連想する物が多いことが分かる。
≪餓鬼道≫
餓鬼の住む世界。
つまり鬼が住む世界である。
そして日本では鬼は妖怪とされることもあり、妖怪は中国では妖精(中国では鬼は幽霊とされる)。朝鮮では鬼。欧州ではフェアリー(≒精霊)と呼ばれる。
そう。霊と呼ばれるのだ。
呪霊もその名前から、呪いの霊だろう。
≪畜生道≫
喋ることもできず本能で動く畜生(動物)が存在する世界。
ここでは仏の教えが受けられないためこれより上位の世界に生まれ変わることは困難であるとされている。
だがそんな世界にも平等に訪れて救いの手を差し伸べてくれるのが観音菩薩。
観音菩薩は六道それぞれに6つの姿に変化し現れ、救いを授ける。
≪修羅道≫
争いばかり起きる世界。
阿修羅という鬼神が住む世界とされている。
阿修羅は帝釈天と戦ったとされている。
また、六道から修羅道を省き、五道とすることや五趣とすることがある。
修羅道を人間道に加えて考えるのが五趣)
【人間と呪霊と道】
なら結局どこに人間は属し、呪霊は属しているのだろうか。
一般人は生み出した呪力を垂れ流している。
呪力=引業(=罪)だとすれば比較的上の世界に生まれ変わることが可能なのは自明である。つまり死んでも呪霊に堕ちることはない。
呪術師は多量に呪力を纏っているが肉体は存在する。
引業は呪霊に比べかなり低いと考えられる。
呪霊は肉体自体が呪力であり、呪力を生み出し続ける必要があると考えられる。
引業はかなり多いと考えられる。
よってこれらから
一般人→人間道
呪術師→人間道(引業が多いため堕ちかねない)
呪霊→餓鬼道(喋れない呪霊は畜生道?)
であると推測できる。
【人間と呪霊】
作中度々呪霊は人間の立場を狙っているかのような発言が見受けられる。
それは六道的観点だったのではないだろうか。
例えば漏瑚と宿儺のこれらのやり取り。
輪廻転生が呪術廻戦で行われているのだとすれば、呪霊は呪力(引業)の塊であり人間が堕ちた先。
宿儺はそれを知っていたが故に、左で宿儺は咄嗟的に人間に成りたかったのかと発言し、右でお前はそうではなく人間のように立ち振る舞いたかったんだよなと思い、訂正したのではないだろうか。
【天国】
六道の天上道は一般的な天国と同じと見てよい。
そして現代人に天国に行ったことを漫画的に表させたとすれば頭の上にわっかをつける人は多いと思う。
パパ黒は天与呪縛によって呪力(引業)を極限まで減らすことによって人間道より上の世界。天国(天上道)に行けたのではないだろうか。
(※六道の輪廻転生で上の世界に行くのは引業が関係するが、輪廻転生を断ち切るには悟りを開くことも必要となる。)
【六眼と六道】
前に五条の眼「六眼」は術式が見えていない可能性が高く、第六感と似たその名前から呪力の色を認識できる共感覚であると説明した。
これについて今回の呪術「廻」戦は輪「廻」転生をしているという説から考察を深めていこうと思う。
呪力に色が存在することはアニメから明らかになっているが、アニメ6話で怒りによって呪力の色が変化することが明らかとなった。
つまり引業の質や量によって色が変化している。
これを六眼によって観測しているのだとすれば
「六眼」は
「六道」に関わる
引業(呪力の量や質)を可視化する
「第六感(共感覚)」なのではないだろうか。
↓六眼とは呪力に”最適化”された「特異体質」である
↓アニメPVやOPから呪力の色等に考察した過去記事