amedotのブログ

呪術廻戦の考察を主に書きます

【呪術廻戦】宿儺の強さは唯我独尊、自由で鬼胎を抱かせる「足跡」

六眼+無下限のセットは数百年に一度
しかし宿儺は『1000年中最強』の呪術師。
なら、宿儺には「六眼セット以上の強み」
があると考えるのが自然。
それは五条悟のような、圧倒的「才能」

私は、彼が唯我独尊な「生き様」
鬼神に
 「鬼に」
   到達した。
 

そう考察した。

 


ネタバレ範囲は0~14巻+公式ファンブック(FB)

 

 

【目次】

 

 

【五条の強さ】

呪術廻戦8巻/芥見下々

現代最強の呪術師「五条悟」の才能。
何百年ぶりの六眼+無下限のセット。

 

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

呪力をサーモグラフィーのように視認することで原子に干渉する程の精密動作を可能にする「六眼」

 

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

移動、防御、攻撃、スタン。
全てに応用が効き、圧倒的なレベルでそれらを実行することが出来るが、高い呪力精度が要求される「無下限呪術」

 

呪術廻戦10巻/芥見下々

この2つの才能に加え、五条悟は圧倒的なまでの呪術的センス、体術を誇る。
故に「最強」と呼ばれる。

呪術廻戦1巻/芥見下々

つまり「強力な術式」と「特異体質」と「五条本人の圧倒的才覚」。この3つが合わさってようやく、宿儺に勝てる”かもしれない”逸材なのだ。

 

【宿儺の強さ】

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

対して宿儺は術式はかなり優秀。
見えない斬撃漏瑚を上回る炎
確かに強力だ。

しかし「強力な術式」と「当人の才覚」
これらだけで五条に並べるのだろうか?
五条の才能だって凄まじいのに、六眼が無い分を補ってあまりある才能(か強力な術式)を持つなんて可能なのだろうか?

難しいはずだ。

ならば、これに加えて何か。
優秀な”要素”があると考えるべきだ。


考えられるのは
呪術全盛、術師の平均レベルが高い故の輝かしい戦績。あるいは乙骨が里香を、夏油が4000体の呪霊を、味方につけたような

特殊な「生き様」

又は手や目が多く、
明らかにただの人間と思えない体に宿る

強力な「特異体質」

このどちらか、あるいは両方だろう。

 

【特異体質】

呪力精密性を上げる「六眼」
呪力を血液に変える「九相図の血」
こんな風な術式に合致した特異体質を宿儺が有していたのだとすれば、宿儺が強力な理由も理解出来る。しかも宿儺は腕や眼が多い。一見、強力な特異体質を有している可能性は高いように見える。

 

だが、この可能性は低い。
なぜなら、虎杖の体を借りて復活した現代の宿儺にはそれらが無いからだ。強力な特異体質を有し、それによって五条並かそれ以上に強いのなら、特異体質無き今、彼はかなり弱体化しているはず(眼は今も多いが、過去のそれとは形が違うためなんとも言えない)

呪術廻戦14巻/芥見下々

しかし全くそういったことは感じられず、「神業」と呼ぶべき、結界で閉じられていない、開けた領域を使用している。
つまり宿儺の腕や眼は特殊な身体的特徴に過ぎず、五条や九相図のそれらとは違う可能性が高い。

 

【生き様】

呪術廻戦1巻/芥見下々

宿儺のいた頃は呪術全盛
しかも宿儺は総力と戦った。まさに百戦錬磨。いや、万戦によって磨き、鍛錬していたのだろう。
現代に生き、相手に恵まれなかった五条と比べれば、強くなるのに十分な理由と言える。


しかし仮に、これを遥かに超えるような、ドラマティックで凄まじい「生き様」が宿儺にあったとすれば、彼の強さは読者にとって、より納得のいくものとなるはずだ。
何より、読んでいて面白い
その可能性のひとつを後述したいと思う。

 

【後天的に強くなる方法(呪い)】

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

肉体が成長する人間とは違い、呪霊は「潜在能力を100%引き出すこと」はできても、「120%にすること」は困難である。要は、呪霊はレベル99のピチューになることはできても、ピチューからピカチュウになることは出来ない。
しかし、そんな呪いも成長する方法が3つある。

 

「呪胎」

「恐れられる」

「呪物を取り込む」


「呪胎」とは呪霊の進化。
あえて不完全に生まれる工程を挟み強くなる。

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

しかしこれを生前から人間だと明記されている宿儺と結びつけることは真人の無為転変のような術式でもない限り難しい。

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々


だが「恐れられる」事なら可能。

「恐怖」によって呪霊が強くなるのは、「負の感情を向ける人間が多いほど、そこを根源とする呪霊は強くなる」という呪霊の発生メカニズムに起因していると考えられる。

 

じゃあ、恐怖する対象が
「人」ならばどうか?

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

「人」という大きな括りでは真人のような呪霊が生まれて終わりだろう。しかし、宿儺と呼ばれる彼「個人」を恐怖すればどうか。

 

そして情報網が無いに等しい平安時代
渋谷を更地にしたり、腕を一瞬で治せる程圧倒的な力を持つ存在を見て、人はそれを「人間」と捉えることが出来るだろうか?

神や悪魔に妖怪。
或いは「鬼」
そう考えるのが自然だ。

現代とは違い、話は伝聞。
まるで伝言ゲームのように情報は変容。
事実は噂へ。
噂は誇張と妄想で尾ひれが付き、奇譚に転遷。
それを聞いた人間が更に恐怖する。

 

もはや元の「化け物のようなただの人間」を指しているかどうかも怪しい恐怖の対象。
そこに集まる負の感情

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々


もとい「呪力」は、大地への負の感情を、「漏瑚」という形で具現化したように、尾ひれが着いた「噂としての宿儺」を具現化するのだろうか?
あるいは、化け物のようなただの人間に注がれるのだろうか?

 

【到達点】

呪術廻戦14巻/芥見下々

仮に、漏瑚に「焼き尽くすべきだった」と助言したように、宿儺が暴れることで多くの人間から恐れられて更に強くなったのだとすれば、考えられるのは2つ。


1. 噂が具現化した宿儺を取り込んだ。
2. ただの人間に負の感情が注がれ強くなった。

 

両方可能性はある。
まず1。

 

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

 

ファンブックの話からすると器が呪いを取り込み、完全に押さえ込んだ場合、呪いは呪力へと還元される。噂としての宿儺をその元になった人間が取り込めば、かなりの強化が見込めるだろう。

 

次に2。

呪霊が後天的に恐れられ、強くなるように、宿儺と呼ばれるあの男は、その強さから恐れられ、それに対する皆の負の感情がさらに彼を強くした。

呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

「鬼と見紛う程の化け物じみた人間」

「それに対する恐怖から生まれた呪い」

彼が「両面」宿儺と呼ばれる所以は
そこにあるのかもしれない。

 

呪術廻戦14巻/芥見下々

「両面宿儺」と呼ばれるただの男は、
理想を掴み取る”飢え”
世界の恐怖、憎悪、嫌悪を一身に受け
「鬼」に到達した、
呪いより呪いらしい
まさに「呪いの王」だったのだろう。

 

【関連記事】

⇓宿儺の術式

amedot.hatenablog.com

 

⇓宿儺は2種類居る

amedot.hatenablog.com

 

⇓”呪物”に成る方法と禪院直哉

amedot.hatenablog.com

【タコピーの原罪】『赤い追憶』から見える、タイザン5先生の面白さ

どくだみの花言葉は「白い追憶」である。

タコピーの原罪も同様に。

 

その理由をタイザン5先生の

「作家としての面白さ」

「タコピーの原罪」の最終回

「同人政治」から解説します。

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※「タコピーの原罪」16話までとタイザン5先生の過去の読み切り「同人政治」の内容を含みます。先に読んでおくことをお勧めします。

shonenjumpplus.com

tonarinoyj.jp

 

【目次】

 

【あらすじ】

まずはタコピーの原罪についてのおさらいをする。

 

『タコピーの原罪』はタコピーとしずかちゃんが出会う。

そしてタコピーがしずかちゃんを笑顔にしようと「ハッピー道具」というまるで魔法のような道具を使ったら全てが裏目裏目になり、登場人物が次々と不幸になる漫画。しかしタコピーはただのトリガーに過ぎず、『不幸の原因』ではない。

 

しずかちゃんが笑顔になれないのは「両親が彼女に愛を注いでいないこと」や、「まりなちゃんに虐められていること」が主な原因で、まりなちゃんがしずかちゃんをいじめるのは「親がまりなちゃんを見ていない」ため「寂しい」からだ。


それ彼女たちが不幸になった原因

そこにタコピーは関与していない。

タコピーはその怨嗟の連鎖反応を早めてしまっただけであり、タコピーが存在しなかったとしてもいつかは高確率で彼女たちは不幸になっていただろう。

事実「タコピーが2016年に居なかった世界」である「2022年」でもまりなちゃんの親は離婚し、母親はスピリチュアルに傾倒し、彼女は顔と心に傷を負って不幸になっていた。16話の未来ですらまりなちゃんは顔に傷を負っていた。あの彼女が不幸であるかは別として。

 

これが「タコピーの原罪」のあらすじ。

 

次にタイザン5先生の過去の読み切りである「同人政治」についてのおさらいをする。

 

同人政治は森イサムという少し個性的な漫画を描く男が宝島文太に出合い大学の漫画研究部に誘われる話。

宝島はイサムに漫画の描き方を教えていきイサムはどんどんと吸収していく。

しかし「宝島文太」という人間は漫画研究部には存在しなかった。彼は漫画というエンタメによって政治を面白い物へと昇華しようと考え、ある種イサムを利用していた。

宝島の目的は「面白い漫画」を作ることにはなく「社会を変革する面白い漫画」作ることにあった。

 

これが「同人政治」のあらすじ。

 

【タコピーの原罪の面白さ】

「タコピーの原罪」の面白さとは何だろうか?

非常に生々しい露悪的な描写、そんな中でも輝く少年少女の健気さ、細かい描写。色々あると思う。

 

しかし私は「タコピーの原罪」の一番の面白さを挙げるとするなら「意味が何重にも重なっている」ことにあると考えている。

 

例えば最終回のタコピーのセリフ

「おはなしがハッピーをうむんだっピ」

これは16話だけを考えれば「おはなし(対話)」することで皆は幸せになれるという意味に見える。

もちろんそれは一部正しいと思う。しかし15話までと過去作「同人政治」を読んでから読むと他の意味が見えてくる。

 

「同人政治」は前述した通り「漫画」「政治」に組み込むことによって社会を変えようとする話。言い換えるなら「おはなし(漫画)」で社会を「ハッピー」にする話と言える。

 

そしてタコピーは15話で「ハッピー力」を失ったことで消滅し、しずかちゃんのノートという記録と記憶以外からは消えた。つまりタコピーは「おはなし(物語)」になった。

そのタコピーのおかげでしずかちゃんとまりなちゃんは救われた。おそらくハッピーになった。つまり「おはなし(タコピー)」が彼女たちを「ハッピー」にしたことになる。

そしてタコピーの原罪は「おはなし(漫画)」である。

 

『おはなし』は「対話」であり、「漫画」であり、「物語」であり、「タコピー」で、「タコピーの原罪」なのだ。

 

タコピーには他にもこのような「意味を重ねる力」がふんだんに盛り込まれている(詳しくは実際に読んで確かめて欲しい)

 

1つの言葉、1つの動きに

いくつもの意味がかかっているのだ。

 

それのどこが面白いのか、何故面白いのか。

少し無粋ではあるが解説しようと思う。

 

【月が綺麗ですね】

夏目漱石は弟子が「I Love You」「我君ヲ愛ス(君を愛している)」と訳したのに対し、日本人はそんなこと言わない「月が綺麗ですね」と訳せと言ったとされている。

つまりこの話を知らない人からすれば「月が綺麗ですね」はただ風景を誉める言葉だが、この話を知っている人間からすれば「特別な意味」を持つことになる。

更に言えば、過去に誰かから「月が綺麗ですね」と言われた人はその人間との思い出がよぎるだろう。

漫画等で初めて知った人間はそちらが思い起こされるだろう。

 

これが「意味が重なる」ということだ。

風景を誉めるだけの言葉に知識や歴史、実体験という意味が乗ることで各々の人生を思い出し描かれていること以上の物を感じる。

広く言えば短歌もラップも歌も漫画も小説も映画もオマージュも身内ネタも風刺もブラックジョークもこれが行われることが多い。

だから面白い。

 

タコピーで例えるならばいじめの描写。

ある人はフィクションとして読むだろう。

しかしある人は実体験を通して読む。

「あのときこうすれば良かったのでは」

「こんなことしなければ良かった」

「こうしていれば…」

と登場人物と自分の過去を重ね読む。

 

完全に自分と重ねる人間もいるだろう。

仮面ライダーが将来の夢と言う子供のように。

 

私のような人間は他の意味が無いかを考える。

何故作者はその描写を描いたのか、何故そんな風に描いたのか、「重なった全ての意味」を追い求め考察する。隠された意味、新たな視点に気付き興奮する。それが楽しい。

 

作者の込めた意味が5個存在すれば

1だけに気付く人間

2だけに気付く人間

5つ気づく人間。

存在しない6を見る人間。

それぞれが違う物語を見る。

 

だから「重なる」ことは面白い。

 

 

【タイザン5先生の本気】

長々と無粋なことを書いてしまったのでここからは考察する人間らしく「重なった意味」全てをできる限り明かして終わりとしたいと思う。

お題は「タコピー」

 

まずは以前考察したことについて詳細を省略し要点をまとめる(根拠が気になる方は各自以前の記事を見て欲しい)

 

ハッピー星人が言う「ハッピー」

「一緒に居ること」

タコピーは「ハッピー力」の喪失

つまり「一緒に居る力」を失い消滅。

結果ノートの端と”きみたち”の記憶

「おはなし(絵と記憶)」だけが残った。

タコピーが変化したことで”きみたち”

「おはなし(対話)」の種に成った。

そしてしずかとまりなは救われた。

まさに「おはなしがハッピーをうむ」

 

これが以前書いたことである。

 

ここからは補足。

「同人政治」は前述した通り「おはなし」で社会を変えようと考えた男の物語。

これを踏まえて考えれば「タコピーの原罪」『ハッピーをうむおはなしであると言える。

そしてタコピーの原罪も「おはなし」であるとするならば最終回のサブタイトルにもある”きみたち”とは、しずか、まりな、東だけではなく「読者」である我々も含んでいることになる。

 

次に2話で登場した「ハッピー花」

地球上の植物で言うと「どくだみ」

どくだみの花言葉「白い追憶」

由来はどくだみは生命力が強く至る所で見ることができ、どこのどくだみも白い。つまりどこのどくだみを見ても「思い出のどくだみ」を思い起こすから「白い追憶」

消滅後のタコピーはしずかのノートの端と記憶にしか存在しない。

カラーで考えるなら「赤い追憶」

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しかしノートの端に描かれたタコピーはおそらく白黒。

つまりタコピーは

「白い追憶」と言える。

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「タコピーの原罪」という漫画も白黒。

 

「どくだみ」花言葉としてどくだみは効能が高いため、他に「自己犠牲」が挙げられることがある。

タコピーは「ハッピー力の消失」という

「自己犠牲」を行った。

そしてマルコによる福音書8章34節で

エスはこう言った。

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」

それにキリストは我々の罪を全て背負って死んだとも言われる。

まさに「自己犠牲」

 

聖書といえばイブはアダムを

「1人にしないため」に作られた。

ハッピー星人の「ハッピー」

「一緒にいること」

「原罪」は聖書の言葉だ。

 

これが私が分かってる範囲。

「タコピー」だけでこんなに意味がかかってる。

 

タイザン5先生の面白さは

漫画を「追憶」とする「重ねる力」だ。

 

【関連記事】

↓原罪とは何か

amedot.hatenablog.com

↓「ハッピー力」は何か

amedot.hatenablog.com

 

 

【タコピーの原罪】『ハッピー力』はご都合で後付けか。孤独は原罪か

ハッピーフルーツとは「茄子」

ハッピー花は「どくだみ」である。

聖書の中、マルコによる福音書8章34節で

エスはこう言った。

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」

 

タコピーの原罪における

「ハッピー」とは

「幸せ」とは

なんだろうか。

考察する。

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※最終話(16話)までの内容を含みます。

 

 

【目次】

 

【タコピーの原罪と聖書】

タイトルにもなっている「原罪」。

これは聖書の言葉でもある。

だからこの作品と聖書には深い関係があると断言することは出来ないが、関係が無いとも言い切れない。そこで今回は「タコピーの原罪」はタイザン5先生が「聖書」を意識して書いたものであると仮定して考察したいと思う。

 

 

【茄子とどくだみ】

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タコピーの原罪 上/タイザン5

1話で登場した「ハッピーフルーツ」は見た目が茄子と非常に似ている。茄子の花言葉には「希望」や「優美」がある。まさに「ハッピー(幸せ)」なフルーツである。

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タコピーの原罪 上/タイザン5

しかし2話で登場した「ハッピー花」である「どくだみ」花言葉は、繁殖力の強さから「野生」、繁殖力が強く至る所で見ることができ、どこのどくだみも同じように白く、どくだみを見ると思い出の場所や時間を想起できるため「白い追憶」。別名十薬と呼ばれるほどに効能があり、救ってくれるため「自己犠牲」がある。しかし一見どれをとっても「ハッピー」と結び付くとは思えない。

ではハッピー星人の言う

「ハッピー」とは何だろうか。

 

【ハッピー星人の掟】

ハッピー星人の言う「ハッピー」の意味を知るには彼らが遵守する「掟」について考える必要がある。

 

ハッピー星人には2つ掟が存在する

 

1つ目の掟は「ハッピー道具の掟」

『決して異星人に道具を委ねてはならぬ』

 

2つ目の掟は「ハッピー星の最も大切な掟」

内容は明記されていない。

 

しかし、どちらかの掟を守ることがどちらかの掟を犯していれば、全ての掟を守ることは不可能になる。つまりこれらの掟が矛盾している可能性は限りなく低い。それどころか似たような目的、意図で作られた掟同士であると考えた方が自然だ。

では、掟に共通する「目的」は何か。

 

ハッピー星人が「宇宙にハッピーを広める存在」であることを考慮すれば、その目的は他者を「ハッピー」にすることだろう。ということは、これらの掟を破ることはハッピー星人にとっては「ハッピーではない」ことになる。

 

「掟」を守ることが

ハッピー星人にとって「ハッピー」を守ること

であるはずだ。

 

 

【ハッピー星人の罰】

2つ目の掟を破ったタコピーに対しタコピーの母親は「罰」を与えようとした。

「全ての記憶の抹消」

「ハッピー星からの追放」

これらによってタコピーの母親はタコピーを「生まれたままのハッピーな姿」にしようとした。

ということは逆に言えばハッピー星人にとって「生まれたままの姿」は確実に「ハッピー」なのだ。

 

つまり、「掟」の目的

「生まれたままの姿」で持っている物

これらが我々にハッピー星人にとっての

「ハッピー」を教えてくれることになる。

 

 

【聖書にとっての罪】

現実の人間が「ハッピー」になるために作った太古の発明。それは「宗教」だろう。そしてタイトルにもなっている「原罪」とは一般的に言えば聖書の言葉。

ハッピー星人における「ハッピー」について考える前に聖書における「ハッピー」を考えてみよう。

そのために聖書における原罪について簡単に説明する。

 

『太古の昔、神は世界を作った。

次に人類の先祖「アダム(男)」を作った。

そして神は「イブ(女)」を作った。

アダムが1人にならないように。

2人を神は楽園に送った。

楽園には美味しい植物と「禁断の実」。

だが神は禁断の実を食べることを禁じた。

しかし2人は蛇にそそのかされ実を食した。

これを知った神は罰を与え楽園から追放した。

 

これが「原罪」

アダムとイブの子孫である我々人類は例外(キリスト)を除き、この「原罪」を生まれながらに背負っているとされている。』

 

 

前後、詳細を省いたがこれが聖書における「原罪が刻まれた経緯の話」

つまり「原罪」とは我々人類が「罪を犯すようになった原因の罪」とも言い換えられる。(分かりやすくまりなちゃんで例えるなら、いじめが「罪」で家庭環境が「原罪」である)

 

※「結局原罪とは具体的に言えば何なのか」という点は宗派や個々の解釈次第となっている(そもそも具体視を禁じていたりもするらしい)。

 

 

では仮にタコピーの原罪が聖書を意識しているとして、タコピーの「原罪」とはなんだろうか。

 

【タコピーの原罪】

タコピーはハッピー星人である。

ハッピー星人が「ハッピーになる掟」を遵守し、違反した物を外に追いやっているのならばハッピー星人は人間で言う所の「原罪」を背負っていない種族であると考えられる。

つまりタコピーがハッピー星を追いやられた原因の罪、「ハッピー星人の最も大切な掟」を破ったことがタコピーにおける「原罪」となると考えられる。

では「ハッピー星人の最も大切な掟」とは何か。

 

13話、タコピーの母が言うには

「1人でここに来た」ことが掟破りである

16話、タコピーが言うには

一番大切なことは「おはなし」。

 

一見これらは関係ないように見える。

しかし聖書を通して見れば理解できる。

 

神は独りぼっちのアダムのためにイブを作り出した。だからこそ2人は罪を犯し追放された後の世界でも生き抜き、我々まで脈々と命を紡ぐことができた。仮に世界にアダムしか居なかったのなら、罪を犯し罰を与えられた時点で死んでいたはずだ。

 

聖書、つまり「おはなし(物語)」は辛く苦しい人間にとって救いとなっている。宗教は保証してくれる。自分の生き方が正しいはずであると。

タコピーがハッピー力を失い、しずかちゃんのノートの落書きやただの記憶、つまりフィクション(おはなし)だけになって、しずかちゃんとまりなちゃんを救ったように。

 

おはなしとは会話だけを指す言葉ではない。

小説や漫画、絵、記憶のような物語も

会話、対話も全て「おはなし」だ。

 

「おはなし」とは誰かのそばに居ることだ。

誰かがそばに居るから私たちは「対話」できる。

「物語」は忘れない限りずっとそばに居てくれる。

 

「ハッピー星の掟」とは

「そばにいる」ことだったのだ。

 

ハッピー星人の言う「ハッピー」

『一緒に居ること』であるとするならば

タコピーが「ハッピー力」を失ったことは

「一緒に居る力」を失ったことに等しい。

 

消滅し「おはなし(会話)」が出来なくなった。

だからこそ

タコピーは「おはなし(記憶)」だけになった。

ゆえに

しずかとまりなの「おはなし」の種になった。

「おはなし(対話)」によって2人は救われた。

それがタコピーの原罪という「おはなし」だ。

 

 

【補足】

≪ハッピー花≫

「ハッピー」『そばにいること』だとすれば「どくだみ」がハッピーな理由は明白である。

どくだみの花言葉「白い追憶」だ。

どくだみはどこのどくだみも白い。

だからどこのどくだみを見ても

「思い出のどくだみ」を追憶できる。

ゆえに「白い追憶」

しずかとまりなと東

そして”きみたち”にとって

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タコピーは「赤い追憶」

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そして「白い追憶」に成れたのだろう。

 

≪原罪とは何か≫

ハッピー星人の掟は「そばにいてあげること」であるとすればこれを破ったことが『原罪』なのだろうか?

じゃあそばにいてあげればそれでいいのだろうか?しずかちゃんの母親のように「そばにいただけ」で良いのだろうか?

否。それはそばにいるとは言わない。

タコピーの言うように「おはなし」を大切にするということは誰かの気持ちを想いつつ「そばにいる」ことを大切にすることだろう。

それを子供に簡単に与えられるのが親や友人。

そして周囲の人間で作り出される『環境』

 

誰かが誰かをないがしろにすれば

これは簡単に崩れ行く。

まりなちゃんの両親が彼女を1人にした結果、まりなちゃんがしずかちゃんを虐めたように。

聖書が我々全人類に「原罪」が刻まれていると伝えたのはこのためなのかもしれない。

 

≪生まれたままの姿≫

タコピーの母親が言うように生まれたままの姿がハッピーなのはなぜだろうか。

それは1人で生まれられる者などこの世に存在しないからだ。生まれるときは誰しもが一人ではない。

そして生まれたままの姿で一人で生きられる者も存在しない。

誰もが誰かから生まれ誰かを頼って育つ。

だからハッピーなのだろう。

 

≪魔法≫

この作品に日曜朝の子供向け番組のような完璧な救いはない。16話のまりなちゃんですら頬に傷があることからそれは確かだ。

しずかちゃんの父親は二度と現れないだろうし、もししずかちゃんの元に父親が帰ってきたならそれはつまり2度家族を捨てたということになる。3度目があるかもしれない。

まりなちゃんの親もおそらく離婚したのだろう。一生彼女はビンが怖いのだろう。もう二度とお手本のような親の愛情は受けられないのだろう。

 

 

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タコピーの原罪 上/タイザン5

しずかちゃんは1話で魔法を拒絶していた。

しかし彼女は15話冒頭で星に願っていた。

「星」に願うということは目に見えぬ超人的な力に頼っているという点で「魔法」を願うことに等しい。

何故願ったのか。

親ですら頼ることができなかったからだ。親にも誰にも頼れないから、「1人だったから」もっと大きな何かに頼った。つまり当時の彼女にとって「魔法」「親の代替品」だった。

しかし当然「星」は何も叶えない。

だから魔法を信じなかった。

 

だが彼女は「ハッピーカメラ」という「魔法」のような何かがいじめを解決した瞬間に出合ってしまった。

そうして壊れた。

しかも本当に「魔法」があっても犬一匹すら救われない。パパも帰ってこない。本当に欲しいものは得られなかった。何一つ根本は解決しなかった。

 

しずかちゃんは「原罪」に抗っていた。

いじめや悪辣な家庭環境、辛く苦しい環境にあってなお、見知らぬ他者(タコピー)に優しく「おはなし」できた素晴らしい人間だった。

そんな優しい人間を、人に優しくいられない、寄り添えない「人間の罪」はたった10数話で化物にしてしまった。

 

我々はこれらから何が学べるだろうか。

 

【関連記事】

↓「原罪」は環境である補足

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↓タイザン5先生は何処が凄いのか。

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