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呪術廻戦の考察を主に書きます

【呪術廻戦】乙骨憂太の術式「里香」の模倣条件は『具体性』

乙骨憂太の術式「里香」「模倣条件」について考察しました。
「無条件の術式模倣」が出来なくなったのなら、乙骨憂太はどんな条件下で術式を模倣できるのでしょうか?

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ネタバレ範囲は0~17巻、公式ファンブック(公式FB)です。
 
 
【目次】

【術式里香】

乙骨憂太は術式「里香」を扱うことが出来る。

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呪術廻戦11巻/芥見下々
そして羂索曰く乙骨は怨霊里香の解呪によって「無条件の術式模倣」が不可能となった。つまり乙骨憂太は「術式の模倣」を扱うことは出来るが、0巻時とは違い何らかの「使用制限」が存在すると考えられる。
 
ではその「使用制限」とはなんでしょうか。
 
(↓術式里香の能力の由来についてはこちら)
 

【使用制限】

使用制限の例として考えられるのは3種類
1.模倣に際し、いくつかの手順が必要である
2.模倣した術式の行使にはいくつかの条件がある
3.模倣する対象の術式には制限がある
 
しかし0巻以降乙骨は術式「里香」、つまり「模倣の力」をほぼ扱っていない。描写から直接絞り込むことは困難である。よって今回は「術式」のタイプを分けることで「模倣の条件3」の可能性を考察したいと思う。
 
 

【術式のタイプ】

術式には大きくわけて2種類が存在する。
『物質具現化(変化)系』
『概念具現化(変化)系』
 
『物質具現化(変化)系』は脹相の「赤血操術」や禪院真依の「構築術式」のような術式。
つまり「血」や「弾丸」のような目に見える物質を具現化したり変化させることが出来る術式のことを指す(呪骸操術のような他者を操作する術式も物質を変化させている(操っている)とし、こちらにカテゴリする)
 
『概念具現化(変化)系』は東堂葵の「不義遊戯」や釘崎野薔薇の「芻霊呪法」のような術式。
つまり「場所が入れ替わる」や「呪いっぽいこと」のような目に見えない概念的なものを具現化(変化)する術式のことを指す。
 
これらを分けて考えた理由は乙骨憂太の「模倣」の論理にある。
 

【模倣の論理】

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呪術廻戦0巻/芥見下々
0巻の描写から乙骨憂太の「模倣」は怨霊里香が「変幻自在の呪力」だから扱えるものであると推測できる。つまり「呪力」をまるで粘土のように形や性質を変えることで「拡声器」「狗巻家の呪印」を作っているのだろう。
 
そこで先程の「タイプ分けされた術式」とこの「模倣の論理」を合わせて「模倣の条件」について考える。
 

【模倣の難易度】

五条の無下限が「六眼」のアシストによってようやく万全に能力を発動できることを考慮すると「術式の行使」には確実に難易度の差が存在する。
 
では「術式の模倣」に難易度の差は存在するのだろうか?

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呪術廻戦10巻/芥見下々
「術式」の複製は困難である。
つまり例えば「氷を出す術式」を模倣するなら
『「変幻自在の呪力」によって「氷を出す術式」を作り出してそこに呪力を流す』
より
『直接「変幻自在の呪力」を氷に変換する』
方が簡単なはずである。
 
じゃあ「不義遊戯」のような概念的な能力の場合どうなるだろうか。
「不義遊戯」は手を叩くことで任意の2者の位置を「入れ替える」ことが可能な術式。
これを直接模倣するには「入れ替わる」という『概念的な結果』を模倣することが必要になる。これは明らかに困難。つまり「不義遊戯」を模倣するには「変幻自在の呪力」「術式」を模倣し、そこに呪力を流す必要があるはずだ。
 
要するに『物質具現化(変化)系』の方が『概念具現化(変化)系』より容易に模倣出来ると考えられる。
 
これが彼の術式に課せられた
『模倣の条件』ではないだろうか?
つまり乙骨は
0巻で怨霊里香を解呪した結果、無尽蔵の呪力を貰い受けることが出来なくなり、具体的な物質を具現化(変化)させる術式の模倣は可能だが、概念的なモノを具現化(変化)させる術式は困難なのではないだろうか。

 

【呪術廻戦】『宿儺の術式』と夏油傑の『呪霊操術』は同じ

宿儺の術式について
宿儺の領域「伏魔御厨子
夏油傑の「呪霊操術」
「特級過呪怨霊里香」
これらから考察しました。
 
宿儺の術式は「呪霊操術」と似ているのではないでしょうか。
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※ネタバレ範囲は0巻~18巻、公式ファンブック(公式FB)を含みます。
 
 
 
 
【目次】

【呪霊には2パターン居る】

『呪霊操術』の特徴について話す前にまずは「呪霊」について整理します。
結論から言うと「呪霊」のような呪力で体が構成されている者には複数の種類が存在すると考えられます。
 
『常時顕現型』
『特定条件下顕現型』
この2種類です。
 
『常時顕現型』は自然呪霊のような「常に形を成している呪霊」
『特定条件下顕現型』は低級呪霊や怨霊里香のような「特定の条件を満たすまで目に見えない呪霊」のことを指します。
その根拠を以下に示します。
 

【怨霊里香 特定条件下顕現型】

怨霊里香は0巻で2度の「完全顕現」をした。

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呪術廻戦0巻/芥見下々
1度目は小学校での完全顕現。これによって乙骨と五条は上層部に非難され、完全顕現を禁止されました。しかし百鬼夜行さなかの高専怨霊里香「2度目」の完全顕現をしました。つまり1回目と2回目の間の期間、怨霊里香は完全顕現したことが無かったはず。

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呪術廻戦0巻/芥見下々
しかし怨霊里香が描かれるシーンはその間にもある。それはこれらが「完全な」顕現では無いからだろう。
じゃあ「顕現」とは何か。
「顕現するまでの間」怨霊里香は何処にいるのだろうか。
それらを説明するにあたり注目して欲しいのは下の2つの場面だ。
 

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呪術廻戦0巻/芥見下々
「だって憂太の呪力感知超ザルじゃん」
「里香みたいなのが常に横にいりゃ鈍くもなる」
ここから「怨霊里香」は顕現せずとも『ずっと乙骨の隣に存在していた』ことが推測できる。
事実怨霊里香は乙骨によって「魂を現世に抑留されている」。つまり式神のように召喚されているわけではなく常に現世に存在し、まるでスイッチを切り替えるように眼に見える形で「顕現」していることになる。
 

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呪術廻戦0巻/芥見下々
「リカ?なんだコイツ!!式神!?どっから出てきた!?」
仮に「怨霊里香」と「リカちゃん」が別の存在だったとしても「出現方法」と「存在方法」が同じであると仮定するなら、「怨霊里香」と「リカちゃん」『常に乙骨の隣に存在している』が、『顕現するまで呪術師にすら視認できない』ということになる。そうでなければ常に横にいるはずのリカちゃんを虎杖は目で追えているはずだからだ。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々
つまり呪霊には「条件を満たし顕現するまでの間、呪術師にすら視認できない呪霊」が存在することになる。これが「特定条件下顕現型」だ。
これはおそらく一般的な呪霊にも適用される。
 

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呪術廻戦0巻/芥見下々
例えば低級呪霊
低級呪霊は帳によって「炙り出される」 
おそらく帳は低級呪霊が顕現しやすい特定条件を作り出すことができるのだろう。
 

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呪術廻戦0巻/芥見下々
「低級呪霊は特定条件下でしか顕現できない雑魚」
そう考えれば低級呪霊が壁を通ることができるのも納得できる。低級呪霊は存在が不安定であるがゆえに壁を通ることができるのだ。

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呪術廻戦0巻/芥見下々
そして怨霊里香も同様に「特定条件下顕現型」であるが故に壁を通り抜けることができるのだろう。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々
媒介と呪力と術式を用いて召喚される式神もこの「特定条件下顕現型」に分類していいだろう。
 
 
じゃあ『呪霊操術』はどうだろうか?
 
 

【呪霊操術】

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呪術廻戦8巻/芥見下々
呪霊操術によって操られる呪霊は「術師と呪力が違い」「媒介も必要ない」。つまり「呪力によって1から構築している」訳でも、「何かを媒介に召喚している」訳でもない。
 
ならば考えられるのは2つ
  1. 取り込んだ呪霊を「特定条件下顕現型呪霊」へと変化させて周りに常駐させている。
  2. 呪霊をどこかに格納して、必要に応じて出している。
 
前者は考えにくい。「特定条件下顕現型呪霊」を常に周りに漂わせているならば夏油の周りには何千、何千万もの呪霊が常に漂っていたことになる。流石に考えにくい。
つまり呪霊操術は「常時顕現型」「特定条件下顕現型」の呪霊をどこかに『格納』して、そこで強制的に術者との主従契約を結ばせ、操ることが出来るようにする術式であると推測できる。

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呪術廻戦9巻/芥見下々
問題は「どこに格納しているのか」だが、夏油は呪霊を球体にしたものを口にしていた。つまり体内か、「心の中」と呼ばれる生得領域にでも格納しているのだろう。
つまりこの理論で考えると「呪霊操術」という術式は「体内に呪霊を格納し、格納した対象に強制的に主従契約を結ばせる」能力と言い換えることが出来る。
要は「格納術式」だ。
 
というのは今回は前提に過ぎない。
本題は「宿儺の術式」と「夏油の術式」の類似性となる。
 

【宿儺の領域】

宿儺の術式は謎が多い。
しかし現在確定していることが3つある。
 
・領域名は「伏魔御厨子」(字が違うがおそらく旧字体というだけ)

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呪術廻戦14巻/芥見下々
・切断する能力がある(「解」と「捌」)

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呪術廻戦14巻/芥見下々
・炎の矢を出すことが出来る(『■』と「開」)

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呪術廻戦13巻/芥見下々
今回は領域の名前に注目したいと思う。
まずは領域の名前を分解する
「伏魔」
これは伏魔殿という言葉があるように文字通り「魔」「悪しきもの」「伏」せている場所と考えられる。
次に「御厨子
実在する御厨子は倉庫のようなもの。
つまり領域の名前と宿儺の生得術式に関係があるのだとすれば「魔が伏せる倉庫」『格納術式』であると言える。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々
そしてファンブック曰く宿儺の快楽は「食べること」にある。それを裏付けるように宿儺の領域には骨が散らばっている。まるで食事の跡のように。
術式によって趣味嗜好が歪んでしまった可能性は低くはないはずだ。
 
つまり宿儺の術式と呪霊操術はどちらも
「食べることが深く関係」
「格納することが可能」
「似ている」のだ。
 
これらが必然であり全てが繋がっていると仮定してみる。
そして宿儺は「切断」「炎」の術式を持つ。

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呪術廻戦10巻/芥見下々
生得術式を作り出すのはほぼ無理と言われていることから考えるとこれらの力は「生得術式」の応用である可能性が高い。
ではどうやって2つの術式を獲得したのだろうか?
 

【似ている2つの術式】

『呪霊操術』と『宿儺の術式』に近しい性質があるのだとすれば「別の術式」を使う方法は2通り存在する。
1つ目は呪霊操術が格納した呪霊を操ることでその呪霊の術式を擬似的に扱うことができるように、宿儺も「格納した対象の術式を借りている」という可能性。
 
2つ目は「うずまき」のような技
呪霊操術極ノ番「うずまき」は呪霊を抽出し、抽出した呪霊の術式を獲得することが出来る。言い換えれば「格納した対象の力を得る能力」
 
これらに近い力が「宿儺の術式」にもあるとすれば「切断」の他に「炎」の術式が使えるのも納得できる。
 

【宿儺の術式】

仮に「宿儺の術式」には「呪霊操術」のように「体内に格納する能力」「格納した対象の力を得る能力」があるのだとすれば「宿儺の術式」とは具体的に言えば何なのだろうか?

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々
まず考えられるのが『呪霊操術』
宿儺は「呪いの王」
呪霊操術を使えるのだとすれば宿儺は意のままに呪いを操ることが可能。
まさに「呪いの王」と呼べるだろう。
己の快・不快のみが行動原理である宿儺が八岐大蛇の能力を知っている(≒戦ったことがある?)のもそのためかもしれない。
しかし「■」という技は夏油の使う呪霊操術には存在しない。
夏油の両親は非術師であるため、御三家の相伝の術式」のように術式の取扱説明書が無く、宿儺が「■」と読んでいる技を夏油は知らない、あるいは別の名前で呼んでいる可能性はあるが、「■」という技は前後を見るに「格納した対象の術式を使用する能力」であると推測できる。しかし「呪霊を操作する能力」「うずまき」どちらにも似ていない。少し考えにくい。
 
次に考えられるのが『呪霊操術に似た能力』
例えば術式を格納する能力。
「食べる快楽」「生得領域内の骨」を考えると『食事』
「御厨子という「倉庫」「■(ブラックボックス?)」から考えると『箱』や『格納』
のような術式であると考えられる。
 

⦅食事術式⦆

『食事術式』だとすればどうだろうか。
そうだとすればおそらく「食べる」ことで「消化、吸収」し、相手の力を獲得する能力なのだろう。

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呪術廻戦13巻/芥見下々
しかしこの場合「■」「開」に説明がつかないため、宿儺には「2つ以上の生得領域」が刻まれていると考えた方が良いだろう。(対象を食すことで相手の術式を自らの肉体に刻み込んでいる可能性はあるが、その場合「■」と「開」の意味が分からない)
 

⦅格納術式⦆

「格納術式」ならばどうか。
そうだと仮定した場合、体内ないし生得領域内に「格納」し、その呪いの倉庫を「開ける」ことで複数の術式を扱うことが出来る能力なのだろう。
これならば「■」とはブラックボックス「開」は文字通り倉庫(箱)の「開放」と推測できる。

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呪術廻戦14巻/芥見下々
そして扉絵になっている過去の宿儺らしき存在は呪具を持っている。「切断」や「炎の矢」という遠距離攻撃手段、伏黒甚爾に匹敵するほどのスピードを持っている宿儺がわざわざ呪具を持ち歩くというのは「格納」する手段があるとも考えられる。

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呪術廻戦1巻/芥見下々
20本の指に魂を切り分け、呪物化したのも指に魂を「格納」していたのかもしれない。
 
じゃあどこまでを「格納」できるのだろうか。
実在する「御厨子は2つの側面がある。
「仏具」と「収納具」だ。
「仏具」としての「御厨子は仏像や仏画、経巻などを収納する。
「収納具」としての「御厨子は書物や文房具のような身の回りの品や厨房で使用する容器などを収納する。
「伏魔」という名前、包丁を連想する「切断能力」を考えるとどちらかだけというよりかはどちらも正しいのだろう。
ならば『宿儺の術式』は魔(呪い)を「格納」したり、厨房のような「切断」を行うことができるのだろう。
 
つまり「宿儺の術式」は呪霊を格納し、強制的に主従関係を生み出すことが出来る夏油傑の「呪霊操術」と同じ性質を持つ「格納術式」のようなものを持っているのではないだろうか。
 
 
【関連記事】

『聖書』から考える タコピーの『原罪』とはなにか

最近話題沸騰中の
『タコピーの原罪』の考察です。
 
タコピーの「原罪」とは
「殺人」ではないのではないでしょうか。
 

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※8話までのネタバレを含みます。
 
 
 
 
【目次】

【登場人物の種類】

「タコピーの原罪」(以降、作品名をタコピーの原罪、登場人物としてのタコピーをそのままタコピーと表記する)には3種類の主要人物が存在する。
 
「タコピー」
 
「子供(しずか、まりな、東)」
 
「親」
 
これを念頭に以下の話を読んでいただきたい。
 

【『タコピーの原罪』とは】

『タコピーの原罪』とは宇宙人のタコピーが降ってきて、しずかちゃんと出会い、タコピーがしずかちゃんを笑顔にしようと「ハッピー道具」なる異質な道具を使った結果、全てが裏目裏目になり、名前が明かされている登場人物ほぼ全てが不幸になっていく漫画。
しかしタコピーはただのトリガーに過ぎず、不幸の原因ではない
しずかちゃんが笑顔になれないのは「父親がいないこと」と、「まりなちゃんに虐められていること」が主な原因であり、まりなちゃんがしずかちゃんをいじめるのは「親がまりなちゃんを見ていない」から「寂しい」のが原因だ。
それが彼女たちが不幸になった原因であり、そこにタコピーは関与していない。タコピーはその怨嗟の連鎖反応を早めてしまっただけに過ぎず、タコピーが存在しなかったとしても高確率で彼女たちは不幸になっていただろう。
 
仮にしずかちゃんが笑顔でいられたなら、事故なんて起きることはなく、まるでドラえもんの世界のように、同級生たちとタコピーは「ハッピー道具」を使って未知の冒険にでも出かけていたかもしれない。
じゃあタコピーの「原罪」とは
人を殺したことなのだろうか?
 

【原罪】

タコピーが犯した「原罪」について考える前にそもそも「原罪」とは何かについて我々読者は知らなければいけない。
 

⦅聖書における原罪⦆

聖書では人類の始まりの人間、全人類の祖先には「アダム」と「イブ」の男女2人が居たと考えられており、彼らは『蛇』にそそのかされて食べることを禁じられていた果実を食べてしまった。その行動が神の逆鱗に触れ、「アダム」と「イブ」は罰を受けた。そして罰はその子孫である我々人間全てに受け継がれている。
これが聖書における「原罪」(諸説あり)
つまり人類の祖先である「アダム」と「イブ」が犯した『裏切りの罪』が私や貴方の「原罪」であり、例えば私が誰かを殺したとしてもそれを「原罪」とは呼ばない。ただの「罪」だ。
 
これをタコピーの原罪にも
当てはめて考えてみよう。
 

【タコピーとアダムとイブ】

「ハッピー道具はハッピー星人の目の届く範囲でしか使ってはいけない」
これがハッピー道具の「掟」
アダムとイブが命じられた「果実を食べてはいけない」という掟とかなり似ている。そしてタコピーはしずかちゃんにそそのかされてこれを破った。
聖書的に考えればこれが
「タコピーの『原罪』
 
仮にこんな物語だったとしたら「タコピーの原罪」とは、どのように読み解けるのだろうか。
 

【タコピーの『原罪』】

タコピーは人を殺した。タコピーは人間ではないが、おそらく「ハッピー星人」は1話冒頭でタコピーが説明している通り、「宇宙にハッピーを広めたい存在」だろう。ならばタコピーが行った事は人間社会にとっても、ハッピー星人社会にとってもおそらく「罪」と呼ばれる悪い行為なのだろう。
 
しかしタコピーだけが悪かったのだろうか?
仮に何もせず傍観していたらまりなちゃんがしずかちゃんを殺していたかもしれない。それにまりなちゃんが殺さずともしずかちゃんは自殺してしまっていただろう。それが良い事であるとはとても思えない。
かといって暴力を用いずにまりなちゃんを止めることが出来ただろうか?あの場は頑張れば切り抜けられたかもしれない。しかし原因が解決しない限り明日、明後日と似たような事は続くだろう。仮にタコピーがIQ53万位あれば、「ハッピー道具」を駆使してまりなちゃんの家庭も、しずかちゃんの家庭も、当人たちすらも救えたかもしれない。円満な家庭を作れていたのかもしれない。
 
でも彼女たちを救えば、しずかちゃんと接点が薄くなる東くんは見知らぬところで病んでいるだろう。病んだ人間がふとしたきっかけで狂ってしまうことは「タコピーの原罪」を読んできた我々は知っている。まりなちゃんが襲わずとも東くんが襲ってきて、タコピーに殺されたかもしれない。
じゃあ東くんもまとめて助ければ「タコピーの原罪」はハッピーエンドを迎えられたのだろうか?おそらくNOだ。見知らぬ所で病んでいる人間が東くんだけとは限らないからだ。東くんの隣に座っている人間も東くんと同じ境遇なのかもしれない。その隣も、そのまた隣も東くんと違うとは言い切れない。そんな病んだ人間がしずかちゃんを追い詰めれば、タコピーはその人間を殺すかもしれない。
今回はたまたまタコピーがまりなちゃんを殺したが、東くんを殺してしまう可能性や、他のクラスメイトを殺してしまう可能性、もし先に出会っていたのがまりなちゃんだったなら、しずかちゃんを殺していた可能性すら存在したのだ。
じゃあ誰が悪かったのだろうか?
 
勿論どんな環境にあったとしても人を殺したり、人を虐めることは罪だ。しかし虐めることを罪とするなら、まりなちゃんやしずかちゃんを追い詰めた両親だって罪人だ。
じゃあ親が悪いのだろうか?
でも親がそんなことをしてしまったのもまた「環境」による影響かもしれない。親の親が酷い人間だったとか、親の友達が酷い人間だったとかかもしれない。まりなちゃんの親だってまりなちゃんやしずかちゃんと同じ境遇で育ったのかもしれない。
親も、親の親も、親の親の親の親すらも悪いのかもしれない。
つまり誰が悪いかなんて
「分からない」
そんな罪の元、罪の原因になる罪、「原罪」を挙げるとすれば「アダムとイブ」のような始まりの人間と考えられるのだろう。始まりの人間がなにか罪を犯したからその子供も、そのまた子供も影響を受けて罪を犯すのかもしれない。
 
じゃあタコピーの
「殺人」だったとして、
タコピーの「原罪」とは
なんだったのだろうか。
 
それは自分の環境という「原罪」に抗えず優しくいられなかった、全ての人間たちで作り上げられた「環境」ではないだろうか。まりなちゃんの親が環境という「原罪」に抗い、人に優しくいられたなら、まりなちゃんは優しくしずかちゃんと接しられたのかもしれない。子供に酷な事だとは思うが、まりなちゃんが環境という「原罪」に抗えていたなら、しずかちゃんに優しくいられたのかもしれない。
人が狂うのは歪んだ「環境」のせいなのだとしても、そんな世界で皆がハッピーだったなら、タコピーは誰も殺さなかったかもしれない。それでもタコピーに「原罪」を見出すとするならば、アダムとイブのように無知で純真で人の悪意を分からないまま力を持ち、その力の「掟」を唆されるままに破ってしまったこと、「罪」「悪」を知ってしまったことなのだろう。
 
しかし、我々人間が「アダムとイブ」なんていう直接関係ない遥か遠い「先祖の象徴」の罪を背負っていると言われるように、タコピーは我々人間の原罪によって罪を犯してしまった。
 
あの世界の人間は他者を誑かす
「蛇」になった。
 
これは揺るぎようのない事実だ。
 

【今後の展開】

ジャンププラスで読むことの出来るタイザン5先生の過去の読み切りを読むに、問題提議で終わるタイプの作家性であるとは考えにくい。それに対する己の、あるいは作中のキャラクターの答えを曲がりなりにも明示する作家性であるように感じる。ならばこの「タコピーの原罪」にも先生なりの答え、結末が存在するはずだ。
単純に考えれば「原罪」からの脱却。つまり他者に優しくするというのが落とし所としては可能性が高そうに見える。しかし最新話までを見るにタコピーは原罪を犯し、まりなちゃんの死体は発見され、しずかちゃんはどんどん狂っていく。仮に事件前まで時間を戻せたとしても、タコピーがたった1匹の犬すら救えなかったように、しずかちゃんの元気がない原因を全て取り除くのは不可能に近い。つまりもう「しずかちゃんが主人公の世界」既に詰んでしまっていると言える。
 
「原罪」に抗えなかった人間たちの成れの果て、人間が聖書における他者を貶める「蛇」へと成り下がった世界、しずかちゃんというただの子供を「蛇」にしてしまった世界。それはもう破滅する他無いのではないだろうか。
「タコピーの原罪」とは我々読者が「蛇」を生み出さないための、よくできた「悪い手本」なのではないだろうか。
 
「ハッピー星人(タコピー)」が人間によって刻まれた「原罪」に抗い、次の「人間」にならない事を、詰んだ世界でもしずかちゃんとタコピーが幸せでいられることを、我々現実の「人間」が「蛇」を生み出さない事を、ただひたすらに祈るばかりだ。
 

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↓「ハッピー力」は後付けのご都合設定なのでしょうか?
↓タイザン5先生は何処が凄いのか