amedotのブログ

呪術廻戦の考察を主に書きます

【呪術廻戦】『宿儺の術式』と夏油傑の『呪霊操術』は同じ

宿儺の術式について
宿儺の領域「伏魔御厨子
夏油傑の「呪霊操術」
「特級過呪怨霊里香」
これらから考察しました。
 
宿儺の術式は「呪霊操術」と似ているのではないでしょうか。
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※ネタバレ範囲は0巻~18巻、公式ファンブック(公式FB)を含みます。
 
 
 
 
【目次】

【呪霊には2パターン居る】

『呪霊操術』の特徴について話す前にまずは「呪霊」について整理します。
結論から言うと「呪霊」のような呪力で体が構成されている者には複数の種類が存在すると考えられます。
 
『常時顕現型』
『特定条件下顕現型』
この2種類です。
 
『常時顕現型』は自然呪霊のような「常に形を成している呪霊」
『特定条件下顕現型』は低級呪霊や怨霊里香のような「特定の条件を満たすまで目に見えない呪霊」のことを指します。
その根拠を以下に示します。
 

【怨霊里香 特定条件下顕現型】

怨霊里香は0巻で2度の「完全顕現」をした。

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呪術廻戦0巻/芥見下々
1度目は小学校での完全顕現。これによって乙骨と五条は上層部に非難され、完全顕現を禁止されました。しかし百鬼夜行さなかの高専怨霊里香「2度目」の完全顕現をしました。つまり1回目と2回目の間の期間、怨霊里香は完全顕現したことが無かったはず。

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呪術廻戦0巻/芥見下々
しかし怨霊里香が描かれるシーンはその間にもある。それはこれらが「完全な」顕現では無いからだろう。
じゃあ「顕現」とは何か。
「顕現するまでの間」怨霊里香は何処にいるのだろうか。
それらを説明するにあたり注目して欲しいのは下の2つの場面だ。
 

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呪術廻戦0巻/芥見下々
「だって憂太の呪力感知超ザルじゃん」
「里香みたいなのが常に横にいりゃ鈍くもなる」
ここから「怨霊里香」は顕現せずとも『ずっと乙骨の隣に存在していた』ことが推測できる。
事実怨霊里香は乙骨によって「魂を現世に抑留されている」。つまり式神のように召喚されているわけではなく常に現世に存在し、まるでスイッチを切り替えるように眼に見える形で「顕現」していることになる。
 

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呪術廻戦0巻/芥見下々
「リカ?なんだコイツ!!式神!?どっから出てきた!?」
仮に「怨霊里香」と「リカちゃん」が別の存在だったとしても「出現方法」と「存在方法」が同じであると仮定するなら、「怨霊里香」と「リカちゃん」『常に乙骨の隣に存在している』が、『顕現するまで呪術師にすら視認できない』ということになる。そうでなければ常に横にいるはずのリカちゃんを虎杖は目で追えているはずだからだ。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々
つまり呪霊には「条件を満たし顕現するまでの間、呪術師にすら視認できない呪霊」が存在することになる。これが「特定条件下顕現型」だ。
これはおそらく一般的な呪霊にも適用される。
 

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呪術廻戦0巻/芥見下々
例えば低級呪霊
低級呪霊は帳によって「炙り出される」 
おそらく帳は低級呪霊が顕現しやすい特定条件を作り出すことができるのだろう。
 

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呪術廻戦0巻/芥見下々
「低級呪霊は特定条件下でしか顕現できない雑魚」
そう考えれば低級呪霊が壁を通ることができるのも納得できる。低級呪霊は存在が不安定であるがゆえに壁を通ることができるのだ。

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呪術廻戦0巻/芥見下々
そして怨霊里香も同様に「特定条件下顕現型」であるが故に壁を通り抜けることができるのだろう。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々
媒介と呪力と術式を用いて召喚される式神もこの「特定条件下顕現型」に分類していいだろう。
 
 
じゃあ『呪霊操術』はどうだろうか?
 
 

【呪霊操術】

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呪術廻戦8巻/芥見下々
呪霊操術によって操られる呪霊は「術師と呪力が違い」「媒介も必要ない」。つまり「呪力によって1から構築している」訳でも、「何かを媒介に召喚している」訳でもない。
 
ならば考えられるのは2つ
  1. 取り込んだ呪霊を「特定条件下顕現型呪霊」へと変化させて周りに常駐させている。
  2. 呪霊をどこかに格納して、必要に応じて出している。
 
前者は考えにくい。「特定条件下顕現型呪霊」を常に周りに漂わせているならば夏油の周りには何千、何千万もの呪霊が常に漂っていたことになる。流石に考えにくい。
つまり呪霊操術は「常時顕現型」「特定条件下顕現型」の呪霊をどこかに『格納』して、そこで強制的に術者との主従契約を結ばせ、操ることが出来るようにする術式であると推測できる。

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呪術廻戦9巻/芥見下々
問題は「どこに格納しているのか」だが、夏油は呪霊を球体にしたものを口にしていた。つまり体内か、「心の中」と呼ばれる生得領域にでも格納しているのだろう。
つまりこの理論で考えると「呪霊操術」という術式は「体内に呪霊を格納し、格納した対象に強制的に主従契約を結ばせる」能力と言い換えることが出来る。
要は「格納術式」だ。
 
というのは今回は前提に過ぎない。
本題は「宿儺の術式」と「夏油の術式」の類似性となる。
 

【宿儺の領域】

宿儺の術式は謎が多い。
しかし現在確定していることが3つある。
 
・領域名は「伏魔御厨子」(字が違うがおそらく旧字体というだけ)

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呪術廻戦14巻/芥見下々
・切断する能力がある(「解」と「捌」)

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呪術廻戦14巻/芥見下々
・炎の矢を出すことが出来る(『■』と「開」)

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呪術廻戦13巻/芥見下々
今回は領域の名前に注目したいと思う。
まずは領域の名前を分解する
「伏魔」
これは伏魔殿という言葉があるように文字通り「魔」「悪しきもの」「伏」せている場所と考えられる。
次に「御厨子
実在する御厨子は倉庫のようなもの。
つまり領域の名前と宿儺の生得術式に関係があるのだとすれば「魔が伏せる倉庫」『格納術式』であると言える。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々
そしてファンブック曰く宿儺の快楽は「食べること」にある。それを裏付けるように宿儺の領域には骨が散らばっている。まるで食事の跡のように。
術式によって趣味嗜好が歪んでしまった可能性は低くはないはずだ。
 
つまり宿儺の術式と呪霊操術はどちらも
「食べることが深く関係」
「格納することが可能」
「似ている」のだ。
 
これらが必然であり全てが繋がっていると仮定してみる。
そして宿儺は「切断」「炎」の術式を持つ。

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呪術廻戦10巻/芥見下々
生得術式を作り出すのはほぼ無理と言われていることから考えるとこれらの力は「生得術式」の応用である可能性が高い。
ではどうやって2つの術式を獲得したのだろうか?
 

【似ている2つの術式】

『呪霊操術』と『宿儺の術式』に近しい性質があるのだとすれば「別の術式」を使う方法は2通り存在する。
1つ目は呪霊操術が格納した呪霊を操ることでその呪霊の術式を擬似的に扱うことができるように、宿儺も「格納した対象の術式を借りている」という可能性。
 
2つ目は「うずまき」のような技
呪霊操術極ノ番「うずまき」は呪霊を抽出し、抽出した呪霊の術式を獲得することが出来る。言い換えれば「格納した対象の力を得る能力」
 
これらに近い力が「宿儺の術式」にもあるとすれば「切断」の他に「炎」の術式が使えるのも納得できる。
 

【宿儺の術式】

仮に「宿儺の術式」には「呪霊操術」のように「体内に格納する能力」「格納した対象の力を得る能力」があるのだとすれば「宿儺の術式」とは具体的に言えば何なのだろうか?

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々
まず考えられるのが『呪霊操術』
宿儺は「呪いの王」
呪霊操術を使えるのだとすれば宿儺は意のままに呪いを操ることが可能。
まさに「呪いの王」と呼べるだろう。
己の快・不快のみが行動原理である宿儺が八岐大蛇の能力を知っている(≒戦ったことがある?)のもそのためかもしれない。
しかし「■」という技は夏油の使う呪霊操術には存在しない。
夏油の両親は非術師であるため、御三家の相伝の術式」のように術式の取扱説明書が無く、宿儺が「■」と読んでいる技を夏油は知らない、あるいは別の名前で呼んでいる可能性はあるが、「■」という技は前後を見るに「格納した対象の術式を使用する能力」であると推測できる。しかし「呪霊を操作する能力」「うずまき」どちらにも似ていない。少し考えにくい。
 
次に考えられるのが『呪霊操術に似た能力』
例えば術式を格納する能力。
「食べる快楽」「生得領域内の骨」を考えると『食事』
「御厨子という「倉庫」「■(ブラックボックス?)」から考えると『箱』や『格納』
のような術式であると考えられる。
 

⦅食事術式⦆

『食事術式』だとすればどうだろうか。
そうだとすればおそらく「食べる」ことで「消化、吸収」し、相手の力を獲得する能力なのだろう。

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呪術廻戦13巻/芥見下々
しかしこの場合「■」「開」に説明がつかないため、宿儺には「2つ以上の生得領域」が刻まれていると考えた方が良いだろう。(対象を食すことで相手の術式を自らの肉体に刻み込んでいる可能性はあるが、その場合「■」と「開」の意味が分からない)
 

⦅格納術式⦆

「格納術式」ならばどうか。
そうだと仮定した場合、体内ないし生得領域内に「格納」し、その呪いの倉庫を「開ける」ことで複数の術式を扱うことが出来る能力なのだろう。
これならば「■」とはブラックボックス「開」は文字通り倉庫(箱)の「開放」と推測できる。

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呪術廻戦14巻/芥見下々
そして扉絵になっている過去の宿儺らしき存在は呪具を持っている。「切断」や「炎の矢」という遠距離攻撃手段、伏黒甚爾に匹敵するほどのスピードを持っている宿儺がわざわざ呪具を持ち歩くというのは「格納」する手段があるとも考えられる。

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呪術廻戦1巻/芥見下々
20本の指に魂を切り分け、呪物化したのも指に魂を「格納」していたのかもしれない。
 
じゃあどこまでを「格納」できるのだろうか。
実在する「御厨子は2つの側面がある。
「仏具」と「収納具」だ。
「仏具」としての「御厨子は仏像や仏画、経巻などを収納する。
「収納具」としての「御厨子は書物や文房具のような身の回りの品や厨房で使用する容器などを収納する。
「伏魔」という名前、包丁を連想する「切断能力」を考えるとどちらかだけというよりかはどちらも正しいのだろう。
ならば『宿儺の術式』は魔(呪い)を「格納」したり、厨房のような「切断」を行うことができるのだろう。
 
つまり「宿儺の術式」は呪霊を格納し、強制的に主従関係を生み出すことが出来る夏油傑の「呪霊操術」と同じ性質を持つ「格納術式」のようなものを持っているのではないだろうか。
 
 
【関連記事】

『聖書』から考える タコピーの『原罪』とはなにか

最近話題沸騰中の
『タコピーの原罪』の考察です。
 
タコピーの「原罪」とは
「殺人」ではないのではないでしょうか。
 

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※8話までのネタバレを含みます。
 
 
 
 
【目次】

【登場人物の種類】

「タコピーの原罪」(以降、作品名をタコピーの原罪、登場人物としてのタコピーをそのままタコピーと表記する)には3種類の主要人物が存在する。
 
「タコピー」
 
「子供(しずか、まりな、東)」
 
「親」
 
これを念頭に以下の話を読んでいただきたい。
 

【『タコピーの原罪』とは】

『タコピーの原罪』とは宇宙人のタコピーが降ってきて、しずかちゃんと出会い、タコピーがしずかちゃんを笑顔にしようと「ハッピー道具」なる異質な道具を使った結果、全てが裏目裏目になり、名前が明かされている登場人物ほぼ全てが不幸になっていく漫画。
しかしタコピーはただのトリガーに過ぎず、不幸の原因ではない
しずかちゃんが笑顔になれないのは「父親がいないこと」と、「まりなちゃんに虐められていること」が主な原因であり、まりなちゃんがしずかちゃんをいじめるのは「親がまりなちゃんを見ていない」から「寂しい」のが原因だ。
それが彼女たちが不幸になった原因であり、そこにタコピーは関与していない。タコピーはその怨嗟の連鎖反応を早めてしまっただけに過ぎず、タコピーが存在しなかったとしても高確率で彼女たちは不幸になっていただろう。
 
仮にしずかちゃんが笑顔でいられたなら、事故なんて起きることはなく、まるでドラえもんの世界のように、同級生たちとタコピーは「ハッピー道具」を使って未知の冒険にでも出かけていたかもしれない。
じゃあタコピーの「原罪」とは
人を殺したことなのだろうか?
 

【原罪】

タコピーが犯した「原罪」について考える前にそもそも「原罪」とは何かについて我々読者は知らなければいけない。
 

⦅聖書における原罪⦆

聖書では人類の始まりの人間、全人類の祖先には「アダム」と「イブ」の男女2人が居たと考えられており、彼らは『蛇』にそそのかされて食べることを禁じられていた果実を食べてしまった。その行動が神の逆鱗に触れ、「アダム」と「イブ」は罰を受けた。そして罰はその子孫である我々人間全てに受け継がれている。
これが聖書における「原罪」(諸説あり)
つまり人類の祖先である「アダム」と「イブ」が犯した『裏切りの罪』が私や貴方の「原罪」であり、例えば私が誰かを殺したとしてもそれを「原罪」とは呼ばない。ただの「罪」だ。
 
これをタコピーの原罪にも
当てはめて考えてみよう。
 

【タコピーとアダムとイブ】

「ハッピー道具はハッピー星人の目の届く範囲でしか使ってはいけない」
これがハッピー道具の「掟」
アダムとイブが命じられた「果実を食べてはいけない」という掟とかなり似ている。そしてタコピーはしずかちゃんにそそのかされてこれを破った。
聖書的に考えればこれが
「タコピーの『原罪』
 
仮にこんな物語だったとしたら「タコピーの原罪」とは、どのように読み解けるのだろうか。
 

【タコピーの『原罪』】

タコピーは人を殺した。タコピーは人間ではないが、おそらく「ハッピー星人」は1話冒頭でタコピーが説明している通り、「宇宙にハッピーを広めたい存在」だろう。ならばタコピーが行った事は人間社会にとっても、ハッピー星人社会にとってもおそらく「罪」と呼ばれる悪い行為なのだろう。
 
しかしタコピーだけが悪かったのだろうか?
仮に何もせず傍観していたらまりなちゃんがしずかちゃんを殺していたかもしれない。それにまりなちゃんが殺さずともしずかちゃんは自殺してしまっていただろう。それが良い事であるとはとても思えない。
かといって暴力を用いずにまりなちゃんを止めることが出来ただろうか?あの場は頑張れば切り抜けられたかもしれない。しかし原因が解決しない限り明日、明後日と似たような事は続くだろう。仮にタコピーがIQ53万位あれば、「ハッピー道具」を駆使してまりなちゃんの家庭も、しずかちゃんの家庭も、当人たちすらも救えたかもしれない。円満な家庭を作れていたのかもしれない。
 
でも彼女たちを救えば、しずかちゃんと接点が薄くなる東くんは見知らぬところで病んでいるだろう。病んだ人間がふとしたきっかけで狂ってしまうことは「タコピーの原罪」を読んできた我々は知っている。まりなちゃんが襲わずとも東くんが襲ってきて、タコピーに殺されたかもしれない。
じゃあ東くんもまとめて助ければ「タコピーの原罪」はハッピーエンドを迎えられたのだろうか?おそらくNOだ。見知らぬ所で病んでいる人間が東くんだけとは限らないからだ。東くんの隣に座っている人間も東くんと同じ境遇なのかもしれない。その隣も、そのまた隣も東くんと違うとは言い切れない。そんな病んだ人間がしずかちゃんを追い詰めれば、タコピーはその人間を殺すかもしれない。
今回はたまたまタコピーがまりなちゃんを殺したが、東くんを殺してしまう可能性や、他のクラスメイトを殺してしまう可能性、もし先に出会っていたのがまりなちゃんだったなら、しずかちゃんを殺していた可能性すら存在したのだ。
じゃあ誰が悪かったのだろうか?
 
勿論どんな環境にあったとしても人を殺したり、人を虐めることは罪だ。しかし虐めることを罪とするなら、まりなちゃんやしずかちゃんを追い詰めた両親だって罪人だ。
じゃあ親が悪いのだろうか?
でも親がそんなことをしてしまったのもまた「環境」による影響かもしれない。親の親が酷い人間だったとか、親の友達が酷い人間だったとかかもしれない。まりなちゃんの親だってまりなちゃんやしずかちゃんと同じ境遇で育ったのかもしれない。
親も、親の親も、親の親の親の親すらも悪いのかもしれない。
つまり誰が悪いかなんて
「分からない」
そんな罪の元、罪の原因になる罪、「原罪」を挙げるとすれば「アダムとイブ」のような始まりの人間と考えられるのだろう。始まりの人間がなにか罪を犯したからその子供も、そのまた子供も影響を受けて罪を犯すのかもしれない。
 
じゃあタコピーの
「殺人」だったとして、
タコピーの「原罪」とは
なんだったのだろうか。
 
それは自分の環境という「原罪」に抗えず優しくいられなかった、全ての人間たちで作り上げられた「環境」ではないだろうか。まりなちゃんの親が環境という「原罪」に抗い、人に優しくいられたなら、まりなちゃんは優しくしずかちゃんと接しられたのかもしれない。子供に酷な事だとは思うが、まりなちゃんが環境という「原罪」に抗えていたなら、しずかちゃんに優しくいられたのかもしれない。
人が狂うのは歪んだ「環境」のせいなのだとしても、そんな世界で皆がハッピーだったなら、タコピーは誰も殺さなかったかもしれない。それでもタコピーに「原罪」を見出すとするならば、アダムとイブのように無知で純真で人の悪意を分からないまま力を持ち、その力の「掟」を唆されるままに破ってしまったこと、「罪」「悪」を知ってしまったことなのだろう。
 
しかし、我々人間が「アダムとイブ」なんていう直接関係ない遥か遠い「先祖の象徴」の罪を背負っていると言われるように、タコピーは我々人間の原罪によって罪を犯してしまった。
 
あの世界の人間は他者を誑かす
「蛇」になった。
 
これは揺るぎようのない事実だ。
 

【今後の展開】

ジャンププラスで読むことの出来るタイザン5先生の過去の読み切りを読むに、問題提議で終わるタイプの作家性であるとは考えにくい。それに対する己の、あるいは作中のキャラクターの答えを曲がりなりにも明示する作家性であるように感じる。ならばこの「タコピーの原罪」にも先生なりの答え、結末が存在するはずだ。
単純に考えれば「原罪」からの脱却。つまり他者に優しくするというのが落とし所としては可能性が高そうに見える。しかし最新話までを見るにタコピーは原罪を犯し、まりなちゃんの死体は発見され、しずかちゃんはどんどん狂っていく。仮に事件前まで時間を戻せたとしても、タコピーがたった1匹の犬すら救えなかったように、しずかちゃんの元気がない原因を全て取り除くのは不可能に近い。つまりもう「しずかちゃんが主人公の世界」既に詰んでしまっていると言える。
 
「原罪」に抗えなかった人間たちの成れの果て、人間が聖書における他者を貶める「蛇」へと成り下がった世界、しずかちゃんというただの子供を「蛇」にしてしまった世界。それはもう破滅する他無いのではないだろうか。
「タコピーの原罪」とは我々読者が「蛇」を生み出さないための、よくできた「悪い手本」なのではないだろうか。
 
「ハッピー星人(タコピー)」が人間によって刻まれた「原罪」に抗い、次の「人間」にならない事を、詰んだ世界でもしずかちゃんとタコピーが幸せでいられることを、我々現実の「人間」が「蛇」を生み出さない事を、ただひたすらに祈るばかりだ。
 

【関連記事】

↓「ハッピー力」は後付けのご都合設定なのでしょうか?
↓タイザン5先生は何処が凄いのか

【呪術廻戦】羂索が言う「呪力の最適化」について

羂索が言っていた進化論

 

「呪力の最適化」

 

について考察しました。

 

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ネタバレ範囲は0~18巻、公式ファンブック(公式FB)です。

※羂索は不明瞭な部分が多いため、この記事も仮定や推定が多くなっています。

 

 

【目次】

 

【前回の話】

amedot.hatenablog.com

以前の記事で全身に存在する「心」によって呪力が生まれていると考察しました。これを念頭に以下の話を読んでいただいた方が良いと思います。

 

【心と生得領域】

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呪術廻戦2巻/芥見下々

宿儺は「生得領域」「心の中」のようなものであると称しました。また、公式FBによると生得領域は非術師/術師関係なく存在します。つまり「術式」「生得領域」は別ということになり、「生得領域」は術式を持っていない人間を含めた全人類に存在していると考えて良いはずです。

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呪術廻戦9巻/芥見下々

そして(放出できる量に個人差はあるが)「呪力」も同様に非術師/術師関係なく存在します。

更に、人間だから当然「感情」「心」非術師/術師関係なく存在するでしょう。

つまり心が呪力の源で、心の中と生得領域が近いものであるなら、生得領域は呪力の源であると考えられます。

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呪術廻戦2巻/芥見下々

生得領域を展開する領域展開が術者に対してバフ(能力上昇)の効果があるのはそういった面もあるのかもしれません。

 

天元

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呪術廻戦17巻/芥見下々

天元は同化に失敗することで進化し、「どこにもいないがどこにでもいる」存在に成りました。

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呪術廻戦17巻/芥見下々

そして天元は自分を安定させるため結界を使用しました。

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呪術廻戦公式ファンブック/芥見下々

公式FBによると体内は一種の領域

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呪術廻戦2巻/芥見下々

領域とは通常「結界」と術式を付与された「生得領域」の2つでできています。よって人体も「結界(のようなもの)」と「生得領域(のようなもの)」の2つで構成されていると考えられるはずです。

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更に、宿儺が言うように「生得領域」と「心」が近いものだとすれば「結界」とは「肉体」に近いものであると考えられます。

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呪術廻戦14巻/芥見下々

宿儺の「結界を用いない領域」「神業(あきらかに従来の領域より上の物)」と描かれていること。天元「肉体が必要ない存在」「進化した(上の存在に成った)」こと。

これらから分かることは

天元の進化と

宿儺の領域は

同種の進化経路であり

「結界のようなもの」を否定している。

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呪術廻戦17巻/芥見下々

そして天元は進化し呪霊に近い存在に成った。なら呪霊は天元に似た存在であるはず。つまり「結界のようなもの」を否定した存在であるはず。

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呪術廻戦3巻/芥見下々

実際に呪霊は素質のある者以外には基本的に認識できない。これは天元と同じ「どこにもいない」存在にかなり近いと言える。しかし呪霊は天元のようにどこにでも存在できるわけではない。

ということは呪霊は「どこにもいないがここにいる」不十分で矛盾した存在だ。

 

これを羂索は見下している

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呪術廻戦2巻/芥見下々

とすれば当然、彼が目指す先は呪霊のようなものでないことはもちろん、それに近い宿儺や天元のようなものであるとも考えにくい。

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呪術廻戦17巻/芥見下々

そして羂索は結界術に長けている。

ならば羂索が言う「呪力の最適化」「結界のようなもの」を肯定する、肉体の可能性を信じたものであると考えるのが妥当。

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呪術廻戦12巻/芥見下々

そして羂索の何らかの意図により生み出された「九相図」には呪力を血液に変換する「特異体質」がある。その体質は彼らの「血液を操る術式」を考えれば呪力を術式に合わせて「最適化」したと言えるだろう。

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呪術廻戦16巻/芥見下々

しかしこれでは自らの可能性の域を出ない。

つまり逆に言えば自らの可能性の範囲で少しは目的が満たされているはず。じゃあ最終地点はどこなのだろうか。

九相図の特異体質が「最適化」なのだとすれば足りないと思われるのは2つ

1.ベースの術式が弱い

2.最適化度数が足りない

 

1の場合羂索は既に強力な術式の肉体を持っていないとおかしい。そして現状羂索が手に入れることが可能そうでなおかつ強そうな術式は「五条の術式(無下限)」、「加茂家の術式」、「宿儺の術式」。このあたりだろう。

しかし無下限呪術は六眼というある種最適化できる目を既に持っている。まだ先を見据えている様子の羂索がそこで満足するとは思えない。加茂家の他の術式が欲しかったならどんどん九相図を作ればよかったはず。

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呪術廻戦15巻/芥見下々

宿儺の術式が欲しいから虎杖悠仁という器を作り、そこに宿儺の術式を刻ませようとした。そしてその後虎杖から自主的に出て行ってもらうために裏梅をそばに置き、協力したという可能性。今までのことを考えるとこの可能性は十分にあるだろう。

 

次は2。

最適化度数が足りない可能性。

「呪力を血液に変換できる体質」というのはつまり、構築術式や反転術式治療を行わずに同様の効果を得ているということになる。これの上位互換といえば解呪前の「里香」だろう。

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呪術廻戦0巻/芥見下々

彼女はその変幻自在の呪力「人間を収納」、「メガホンの具現化」、「呪言術式の創造(おそらく里香が作った術式に呪力を流し実際に使用しているのが乙骨)」、「呪力をビームへ変換」といったことを可能だ。

呪力を術式というフィルタを通すことなく目的に合わせ変化させられる肉体。これが作られれば「呪力の最適化」が行われたと言えるだろう。

 

つまり

「宿儺の術式を得るために虎杖という器を作り、受肉させた。そして自主的に宿儺が虎杖の肉体から出るように裏梅と協力している」

「解呪前の里香のように呪力を変幻自在に扱うことができる肉体が生まれるのを待っている」

このどちらかではと考えられる。

 

しかしこれらの可能性が正しいとしてその肉体を得て何をしたいかが全くわからない上に羂索についてはまだ謎が多い。別の可能性が隠れているかもしれないし、開示されるかもしれない。なので今後も考察し追記していこうと思う。

↓関連記事

amedot.hatenablog.com

 

【余談】

≪メタ的視点≫

しかし宿儺の考え方(結界の否定)、羂索の考え方(結界の肯定)、そのどちらが正しかったとしても悪人の論理が正しかったということになってしまう。これは少年漫画的にあまり良くないはず。

じゃあ虎杖悠仁が選ぶ道

主人公が選ぶ道

「正解の道」とは何か。

それはまるで黒閃のように「結界も、生得領域も肯定した」考えではないだろうか。

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呪術廻戦7巻/芥見下々

彼は黒い火花に愛されているのだから。

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呪術廻戦16巻/芥見下々

だが羂索もここに到達しようとしてる節がある。

つまり羂索の目指す先は

1.正解寸前で間違えている

2.羂索も正解を目指しているがそこにたどり着くのは主人公(ジョジョのラスボスでよくあるやつ)

 

のどちらかであると思われる。

 

 

⇓「天元」と「羂索」

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↓変幻自在の呪力「里香」とは

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↓夏油が五条に最後に貰った言葉とは

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